2013-12-07

Voigtländer Color-Skopar 35mm F2.5 Classic


   秋葉原駅の一角でみつけた、たぶん「原風景」的な手摺り?
   この駅は40〜50年前に新たに出来たと思っていた。 以前は現在の場所よりもやや東に位置し、移転されたと思っていた。 だが、調べてみると、どうやら旅客用の駅は以前から現在の位置だったらしい。 だとすれば、この手摺りにもそれなりの歴史があるのだろう。 こうした「古いもの」は近年どんどん無くなり、ここ数年は特にそれが加速して感じられる。
   電気部品を買いに何度となく足を運んだこの駅舎だが、いつも「電気街口」と表示された案内表示めがけて突き進んでいたので、あらためて駅舎に目を向けたのはたぶん初めて。 30年ほど前はまだまだ自作ラジオが流行り、製品を売る電気街の店先は、ラジオやテープレコーダーといった顔ぶれだった。 オーディオの世界もなかなかの隆盛で、音楽を入手する手段はFMラジオという時代でもあった。 FMラジオを録音する事を「エア・チェック」と呼んでいたが、おそらく'60年代から'90年代初頭くらいまでは愛好家的な利用者は数多かった。 録音の機材は「オープン・リール」から「カセット・デッキ」に移り、なかでも高嶺の花だったNakamichiのデッキを置く店は一目置かれるような存在だった。
   オーディオ製品を買い求める客と、電気部品を買う客と、アマチュア無線と、だいたい秋葉原の客はこの3つに大分されていたように思う。 飛び交うのは、集まって来る人々の合い言葉のような流行言葉の類ではなく、もっぱら機械の型番と電気部品の仕様と数値である。

   2013年11月一杯をもって、電気部品を売る小さなお店が並んでいた「ラジオ・ストア」が閉店となった。
   いまはJRのガード下は、「ラジオ・センター」が営業を続けている。 言ってみればこれらは「モール」と言えなくもないが、電気部品の独特の匂いと、休日などは行きたいお店になかなか辿り着かないくらいの人で賑わう幅1.5m程度の通路の熱気、そして旧い都心のどこか埃っぽい匂いが立ちこめ、「電気」という一つの共通項を持つ人々の好むこの空間は、まさに要塞のような体であった。

   そうした風景を想起しつつ、この手摺りから見えた風景は、かつて電車の車内にタバコの煙が立ちこめる風景だった。
   今では想像もできない風景でもあり、思えば「本当に見た風景だったのだろうか」と疑念も浮かぶような光景だが、そうした電車で秋葉原から帰路についた記憶はたぶん本当だ。

   そういえば、秋葉原駅から少し東、昭和通り... というのかな、の手前には、その昔、運河を引き入れた流通の一拠点だった名残として、堀と橋の形跡が見てとれる小さな公園があったのだが、今回足を運んだ際にはその公園は無くなり、工事中だった。 運河だったためにやや窪んでいたその公園は段差無く平らになり、やがて通路にでもなってしまうのだろう。

   なかなか急速に移り変わってゆく。

   さて、秋葉原駅。
   どうも現在の位置はずっと動いていないようで、とすると、'90年代半ばにはまだ取り壊されずに残っていた「旧秋葉原駅」と呼ばれる、現秋葉原駅のやや東にあったそれは、かつて青果市場だった時代の貨物専用駅という事になりそうだ。 「旧」というのは、今の駅舎が「現在の位置に動いた」のではなく、旅客用と貨物用の2つの駅のうち、貨物用が無くなったという意味なのだろう。 貨物駅が無くなったのは1975年頃の事のようだ。 現在の駅舎の原型は戦後間もなく作られたという説もあり、幾多の改装も経ていようが、思うにこの「手摺り」はそれなりの年代物なのだろう。

   こうして時代を映し、なお現役であり。 この、様々に背景を擁する佇まいに尊敬の想いを馳せる。