星野道夫氏の本をいくつか。
星野氏は学生のときに神田の古本屋で出会ったアラスカの本をきっかけにアラスカに渡り、写真を生業に選び、アラスカに根をおろし、取材で熊に襲われその生涯を閉じるまで、その壮絶な... と大抵は続くのでしょうが、星野氏の場合には、周囲の様々な人も土地も植物も、土地の言い伝えも、ごくごく自然に、普通に流れているのです。
映画「ガイア・シンフォニー」では星野氏の視線を通して展開される章がありますが、氏の見つめるそうした時の流れ、太平洋の海流に乗った人の流れ、それぞれの土地の神々のかかわりなどが描かれています。環太平洋の海流の流れは、インディアンの文化に見られるような信仰的な流れの中に帰一するように見え、それは逆に見れば「自然」の持つある種の厳然としたエネルギーの中に人々の流れがあるとも捉えられそうです。
もう7年ほど前になりますが、ハワイの文化復興に大きく寄与したナイノア・トンプソン氏にお会いする機会がありました。ナイノア氏も、映画「ガイア・シンフォニー」の登場人物であり、その行動が文化復興と言われる所以は、ハワイからタヒチまでの航海を星や波からの情報を頼りに成し遂げたことにあります。
その船は、ダブル・カタマランと言われる、少々乱暴な表現ですが 2艘のカヌーの上にイカダを載せたような構造で、羅針盤などの近代計器を持たない、わりと小さな帆船です。
それまでのハワイは、"西洋文化"が入って来て以来、古来の文化は否定され続け、言い伝えられてきた航海技術も同じく否定的に見られていました。時を重ねるなかに忘れかけられたそうした文化と民族の誇りは、実際に航海が成功したことで高度な技術を持った文化の優位性が証明され、息を吹き返したのです。
古代では、その航海用の船を作るタイミングというのが、遠くアラスカで海に流れた大木が流れ着いた時だというのです。ハワイの人々は、神が「航海の時」を示唆していると受け止めるのでしょう。
ナイノア氏は細身で控え目ながら、眼差しは澄んでいて、目の前の事象からはあらゆるものを読み取っているかのようでした。声もどちらかというと細いのですが、明瞭に指し示す方向を持っている - そう感じるものでした。星野氏もまた似た眼差しを持っているような、エッセイにはそうしたものを感じます。
http://www.hawaii-ai.com/editorial/content/%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%8E%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%97%E3%82%BD%E3%83%B3%EF%BC%8F%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E8%88%AA%E6%B5%B7%E5%A3%AB Life in Hawai'i ナイノア・トンプソン/伝統航海士 について書かれたウェブサイト
エッセイスト・山内美郷さんによるホクレア号(ナイノア氏が航海に用いた船の名前)の航海が示すもの - というお話。
2011-07-22
2011-07-21
星の話 その2
ペンタックスの「アストロ・トレーサー」 --- これはスゴイなぁと思います。
モノはGPS計測ユニットです。これと、ペンタックス独自と言われる手振れ補正機能 - 一眼レフ・カメラ内の画像素子(C-MOSセンサー)を動かすことで実現しているこの機能を組み合わせた、何とも大胆な、しかし非常に微細で繊細な技術です。(他社の手振れ補正機能はレンズに内蔵されている)
その2つを組み合わせて何をするかというと、GPSで測定した緯度・経度、カメラの姿勢を元に、画像素子を僅かずつ動かすことで赤道儀の働きを実現してしまうというもの。
三脚に固定しただけのカメラで星を長時間露光撮影すると、地球の自転のために星が円や弧状に軌跡を描いてしまいます。そのため、星を点として写すための露光時間はせいぜい数秒。しかしそれでは夜空にたくさんあったはずの星も、ぽつぽつとしか写りません。この撮影時間が、星の動きを追いかけながら、5分、10分と長くなると、ようやく星がたくさん光る「星空」らしい写真になるわけです。
そうした「星空」を写すために必要になるのが、星の動きを追尾する道具である赤道儀です。
赤道儀の働きは、例えば夜の星空を天体望遠鏡で見るときに、地球の自転に合わせて望遠鏡を逆回転させる... と言ってしまうと簡単そうですが、ひと晩で東を向いていた望遠鏡が明け方には西の方へ傾く程度の微妙なスピードと、取り付けられた望遠鏡が同じ星に向き続けるために細かな精度で動かすというもの。
その動きを、カメラ内部の画像素子を動かすことで実現してしまうのが、この「アストロ・トレーサー」なのです。
画像素子を動かせる範囲が限られていること、現段階ではGPSユニットに細かな調整機能を持たせていない事などから、赤道儀ほどの精度と柔軟さは無いようですが、赤道儀の重さや、水平を取って設置する手間や、北極星を見つけて設定する難儀さを思うと、天体写真ではなく、ちょっとした風景写真として星の撮影を楽しむには十分なのでしょう。
http://dc.watch.impress.co.jp/docs/review/special/20110624_454521.html 開発秘話など Impress Watchの記事
モノはGPS計測ユニットです。これと、ペンタックス独自と言われる手振れ補正機能 - 一眼レフ・カメラ内の画像素子(C-MOSセンサー)を動かすことで実現しているこの機能を組み合わせた、何とも大胆な、しかし非常に微細で繊細な技術です。(他社の手振れ補正機能はレンズに内蔵されている)
その2つを組み合わせて何をするかというと、GPSで測定した緯度・経度、カメラの姿勢を元に、画像素子を僅かずつ動かすことで赤道儀の働きを実現してしまうというもの。
三脚に固定しただけのカメラで星を長時間露光撮影すると、地球の自転のために星が円や弧状に軌跡を描いてしまいます。そのため、星を点として写すための露光時間はせいぜい数秒。しかしそれでは夜空にたくさんあったはずの星も、ぽつぽつとしか写りません。この撮影時間が、星の動きを追いかけながら、5分、10分と長くなると、ようやく星がたくさん光る「星空」らしい写真になるわけです。
そうした「星空」を写すために必要になるのが、星の動きを追尾する道具である赤道儀です。
赤道儀の働きは、例えば夜の星空を天体望遠鏡で見るときに、地球の自転に合わせて望遠鏡を逆回転させる... と言ってしまうと簡単そうですが、ひと晩で東を向いていた望遠鏡が明け方には西の方へ傾く程度の微妙なスピードと、取り付けられた望遠鏡が同じ星に向き続けるために細かな精度で動かすというもの。
その動きを、カメラ内部の画像素子を動かすことで実現してしまうのが、この「アストロ・トレーサー」なのです。
画像素子を動かせる範囲が限られていること、現段階ではGPSユニットに細かな調整機能を持たせていない事などから、赤道儀ほどの精度と柔軟さは無いようですが、赤道儀の重さや、水平を取って設置する手間や、北極星を見つけて設定する難儀さを思うと、天体写真ではなく、ちょっとした風景写真として星の撮影を楽しむには十分なのでしょう。
http://dc.watch.impress.co.jp/docs/review/special/20110624_454521.html 開発秘話など Impress Watchの記事
* ペンタックスのウェブサイトより
2011-07-20
星の話
もう5年ほど前になるだろうか、清里にあるK*Mopa(清里フォトアートミュージアム)で、写真家の加倉井 厚夫氏にお会いした。
温厚な雰囲気にイカツいニコンの一眼レフ。ミュージアム・スタッフとの打ち合わせにたまたま居合わせたのだが、宮沢賢治にまつわる様々な話題と、星に関する様々な話題が次々に語られた。
どれも興味深いものだったが、なかでも印象に残ったのが、オーストラリアで星の撮影をしたときのエピソード。撮影をしていると、何やら自分のまわりにモヤモヤ動くものがあるという。目をこらすと、なんとそれは自分の影だったというのだ。シリウスの明かりが作る影、木星の明かりが作る影、なんと5方向くらいにモヤモヤと星の影が見えたという。
新月で快晴、澄んだ空気 - 天体の撮影では、こちらがどんなに意気込んでもなかなか好条件にはめぐり合えないのだが、星の影に囲まれる好天とは、なんと貴重で贅沢なひとときだろう。
加倉井氏のウェブサイトは、今年2011年、開設15周年を迎えたとのこと。テーマは星、宮沢賢治、山。
星ということで、自分の体験を1つ思い出した。
アメリカ南西部を列車で走っていたときのこと。場所は北カリフォルニア - 夜中の3時にふと目が覚めて、2階建て列車の2階の客席から、1階部分に下りていった。1階にはトイレ、洗面、荷室と乗降用のドアがある。そのドアには窓が付いていて「走行中に開けてはいけない」と書かれているのだが、レバーを90度ひねるだけの簡単なロックで、ちょこっと開けてみた。
そこにはスモーク・ガラス越しでは分からなかった、またたきひとつない星の大群が、空に張り付くようにびっしりと光っていたのだ。もちろん天の川も肉眼ではっきり川のように見えるし、大小さまざまな丸い点が、迫ってくるかのように、また目を凝らすと遠くへ大きく広がってゆくようにも見える。何しろ圧倒されるような星空と、その瞬(またた)きのないところからは、空気が静止している様子が想像された。
大陸の星空を見るには --- ちょこっと禁をやぶる必要がある...。
温厚な雰囲気にイカツいニコンの一眼レフ。ミュージアム・スタッフとの打ち合わせにたまたま居合わせたのだが、宮沢賢治にまつわる様々な話題と、星に関する様々な話題が次々に語られた。
どれも興味深いものだったが、なかでも印象に残ったのが、オーストラリアで星の撮影をしたときのエピソード。撮影をしていると、何やら自分のまわりにモヤモヤ動くものがあるという。目をこらすと、なんとそれは自分の影だったというのだ。シリウスの明かりが作る影、木星の明かりが作る影、なんと5方向くらいにモヤモヤと星の影が見えたという。
新月で快晴、澄んだ空気 - 天体の撮影では、こちらがどんなに意気込んでもなかなか好条件にはめぐり合えないのだが、星の影に囲まれる好天とは、なんと貴重で贅沢なひとときだろう。
加倉井氏のウェブサイトは、今年2011年、開設15周年を迎えたとのこと。テーマは星、宮沢賢治、山。
星ということで、自分の体験を1つ思い出した。
アメリカ南西部を列車で走っていたときのこと。場所は北カリフォルニア - 夜中の3時にふと目が覚めて、2階建て列車の2階の客席から、1階部分に下りていった。1階にはトイレ、洗面、荷室と乗降用のドアがある。そのドアには窓が付いていて「走行中に開けてはいけない」と書かれているのだが、レバーを90度ひねるだけの簡単なロックで、ちょこっと開けてみた。
そこにはスモーク・ガラス越しでは分からなかった、またたきひとつない星の大群が、空に張り付くようにびっしりと光っていたのだ。もちろん天の川も肉眼ではっきり川のように見えるし、大小さまざまな丸い点が、迫ってくるかのように、また目を凝らすと遠くへ大きく広がってゆくようにも見える。何しろ圧倒されるような星空と、その瞬(またた)きのないところからは、空気が静止している様子が想像された。
大陸の星空を見るには --- ちょこっと禁をやぶる必要がある...。
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