2013-12-26

Cosina Carl Zeiss T* C-Biogon F2.8/35mm


   実は2度目の購入となったこのレンズ、2008年に手にした時にはヌケが良すぎてなじめなかった。 そして久々に手にしたこのレンズ、程よい遠近感と質感描写。 キレもありヌケもそこそこ良く、質感も。 何より感心したのは空間表現。


   6 Bit Codeは、Summarit-M 35mm f/2.5に用いられる「101011」を黒い色のテプラ・テープで貼り付けた。 Voigtländer Color-Skopar 35mm/F2.5-Cも同じコードを使用している。 このコードによっても描写が変わるのだろうか。 試そうと思いつつ、つい試さずじまいのまま。

   ...気になるヌケ。 経年変化でコーティングによるヌケ具合が変化するという事があるのだろうか。 Biogon 2.8/28mmも、Elmarit-M 28mm/F2.8 Asph.も、何年か経つうちに少しずつデジタル現像する手と目に馴染んで来た感があった。 製造から数年経つと持ち味が出始めるというか落ち着いてくるというか、例えばメーカーの見解としては「あり得ない」のだと思うが、やはり経年変化はあり得そうに思える。

   あらためて、この小ささは、鞄を選ばない使い勝手がありがたい。

2013-12-24

Leica Elmarit-M 28mm F2.8 Aspherical


   先日のBiogon 2.8/28mmによる夕方の空の写真で、思ったよりも雲の質感が得られたので、似たような条件でElmarit 28mm/F2.8 Asph.を試したくなり...。

2013-12-23

2013-12-22

Cosina Carl Zeiss T* Biogon F2.8/28mm


   ちょっとスナップぽく空の1枚。 上空の空気は冷たいんだろうなぁと、ふわっとながらシャープに陽光を拡げる雲の広がりに好奇心。

2013-12-20

Cosina Carl Zeiss T* Biogon F2.8/28mm


   朝だからか... なんか違う気がする。 シャッターが降りたままのお店が点在してる気がする。 奥に見える幌で覆われたところは、つい先々週くらいまで青い瓦屋根の木造の建物に焼肉屋の看板があった。 通りの雰囲気はひっそりしてゆくようにも感じ、同時に新たな展開への期待もうっすらと近寄って感じる。 そうした「変化」と「日常」は、案外 何の違和感も無く同居している。

2013-12-08

Voigtländer Color-Skopar 35mm F2.5 Classic


   初めてこのお店で買い物をしたのは、たぶん小学校2年生の時。 もちろん親に連れられての買い物だが、真空管ラジオの部品を買い集めたその中の1つがここで購入した「トランス」だった。 そのあと何度か足を運ぶ機会もあり、「TOEI」というラベルのトランスが手元にいくつかある。
   そしてその10年ちょっと後、アメリカへ渡る時にここで「ステップ・ダウン・トランス」を購入した。 117Vの電灯線を100Vに変換する変圧器と呼ばれる道具である。 渡航する飛行機では、スーツ・ケースの類いではなく、ボストン・バッグのような中に諸々を詰め込んだ。 中にはラジカセとこの変圧器も入っていて、振り返ってみると、あの1年で使った様々な持ち物では、室内で使う物の中ではダントツに重い一品だったのだろうと思う。 ずっしりした鉄芯と導線の存在感は、実に頼もしかった。

2013-12-07

Voigtländer Color-Skopar 35mm F2.5 Classic


   秋葉原駅の一角でみつけた、たぶん「原風景」的な手摺り?
   この駅は40〜50年前に新たに出来たと思っていた。 以前は現在の場所よりもやや東に位置し、移転されたと思っていた。 だが、調べてみると、どうやら旅客用の駅は以前から現在の位置だったらしい。 だとすれば、この手摺りにもそれなりの歴史があるのだろう。 こうした「古いもの」は近年どんどん無くなり、ここ数年は特にそれが加速して感じられる。
   電気部品を買いに何度となく足を運んだこの駅舎だが、いつも「電気街口」と表示された案内表示めがけて突き進んでいたので、あらためて駅舎に目を向けたのはたぶん初めて。 30年ほど前はまだまだ自作ラジオが流行り、製品を売る電気街の店先は、ラジオやテープレコーダーといった顔ぶれだった。 オーディオの世界もなかなかの隆盛で、音楽を入手する手段はFMラジオという時代でもあった。 FMラジオを録音する事を「エア・チェック」と呼んでいたが、おそらく'60年代から'90年代初頭くらいまでは愛好家的な利用者は数多かった。 録音の機材は「オープン・リール」から「カセット・デッキ」に移り、なかでも高嶺の花だったNakamichiのデッキを置く店は一目置かれるような存在だった。
   オーディオ製品を買い求める客と、電気部品を買う客と、アマチュア無線と、だいたい秋葉原の客はこの3つに大分されていたように思う。 飛び交うのは、集まって来る人々の合い言葉のような流行言葉の類ではなく、もっぱら機械の型番と電気部品の仕様と数値である。

   2013年11月一杯をもって、電気部品を売る小さなお店が並んでいた「ラジオ・ストア」が閉店となった。
   いまはJRのガード下は、「ラジオ・センター」が営業を続けている。 言ってみればこれらは「モール」と言えなくもないが、電気部品の独特の匂いと、休日などは行きたいお店になかなか辿り着かないくらいの人で賑わう幅1.5m程度の通路の熱気、そして旧い都心のどこか埃っぽい匂いが立ちこめ、「電気」という一つの共通項を持つ人々の好むこの空間は、まさに要塞のような体であった。

   そうした風景を想起しつつ、この手摺りから見えた風景は、かつて電車の車内にタバコの煙が立ちこめる風景だった。
   今では想像もできない風景でもあり、思えば「本当に見た風景だったのだろうか」と疑念も浮かぶような光景だが、そうした電車で秋葉原から帰路についた記憶はたぶん本当だ。

   そういえば、秋葉原駅から少し東、昭和通り... というのかな、の手前には、その昔、運河を引き入れた流通の一拠点だった名残として、堀と橋の形跡が見てとれる小さな公園があったのだが、今回足を運んだ際にはその公園は無くなり、工事中だった。 運河だったためにやや窪んでいたその公園は段差無く平らになり、やがて通路にでもなってしまうのだろう。

   なかなか急速に移り変わってゆく。

   さて、秋葉原駅。
   どうも現在の位置はずっと動いていないようで、とすると、'90年代半ばにはまだ取り壊されずに残っていた「旧秋葉原駅」と呼ばれる、現秋葉原駅のやや東にあったそれは、かつて青果市場だった時代の貨物専用駅という事になりそうだ。 「旧」というのは、今の駅舎が「現在の位置に動いた」のではなく、旅客用と貨物用の2つの駅のうち、貨物用が無くなったという意味なのだろう。 貨物駅が無くなったのは1975年頃の事のようだ。 現在の駅舎の原型は戦後間もなく作られたという説もあり、幾多の改装も経ていようが、思うにこの「手摺り」はそれなりの年代物なのだろう。

   こうして時代を映し、なお現役であり。 この、様々に背景を擁する佇まいに尊敬の想いを馳せる。

2013-12-01

Cosina Carl Zeiss T* Biogon F2.8/28mm


   東京駅の八重洲地下街での1枚。
   なんとなく気になって、「このあたりにイノシシの銅だか真鍮でできた大きな像があったんだけど..」とウロウロしていたのだが、記憶の場所とは微妙に違う場所に。 近くにあったイタリアン・レストランもなんとなくその面した通路の雰囲気が違っている。 そういえば有楽町の駅を銀座方面に出た右手にあるレストランを見て、同じ名前なんだなぁと思った覚えがある。 有楽町のそれに比べて八重洲地下街の店舗はどことなくレトロというか、年季の入った風である。
   そうした風景を見届けて、さて地上に出ようかと向かった階段の風景。