2011-09-28

雑感 〜 電子書籍、「自炊」、タイムズ・スクエア

   “ジャズ喫茶「ベイシー」の選択” という本を購入してから随分と時間が経った。 本と言っても電子書籍だ。 当時は"XMDF"という、ある電子手帳の開発元が発案したファイル形式を用いたものが主流で、「本」を手のひらに収まる携帯端末で表示させるにはよく出来ていた。 数冊をポンと小さく持ち歩ける感覚は、なにしろ便利だった。
   ここ数日、「ジャズ喫茶 ベイシー」の事を思い出し、その本を読もうと思ったのだが、いま手元にある携帯端末、いわゆる「スマート・フォン」では世界的に浸透している"ePub"形式は表示できるものの、"XMDF"は表示することが出来なかった。

   「ガラパゴス」と言われて久しい日本の携帯電話事情だが、気がつけば関連するあらゆるものが「ガラパゴス」だった。 世界に対して閉じた規格が巾をきかせる「鎖国」のような世界。
   その「開発元」が、そうした「ガラパゴス」をモジって(?) 「ガラパゴス」という、世の電子書籍動向を意識した端末を販売した。 ここから広がりが出るかと思いきや、残念な状況は何ら変わるところはない。

   「自炊」と呼ばれる、本を電子書籍に変える「手順」がある。 これが出版社から非難されたというニュースもあったが、そもそも"購入"した「本」を、持ち主が加工するのだから、それを自分で読む限りは非難される理由は別段見当たらないのではないか。 その「手順」、つまり本をバラして1枚1枚の紙の束にして、機械にかけてデータにするという過程であるが、これを自分で行うのも、業者に依頼するのも、そこに出版社が意見する余地を見出すのは無理がありそうだ。

   電子書籍は出版社から読み手まで、ほぼ直接に「本」が届く。 つまり「問屋」が要らない。 そのために出版社、その関連の流通経路にとっては、この「問屋」機能が無くなるところに危機を感じているのだろう。 ただ、電子書籍が日本にも浸透した結果、紙の「本」の流通量が目に見えて減少するかというと、そうでもないと感じる。 「自炊はいけない」と自炊代行業者に書面を廻す労力も大事なのだろう。 一方、電子書籍を販売する設備と経路を備える事に注力するのも活路だろう。

   「自炊はいけない」 は、ごく内向きな感情論的に映る。 とはいえ「新たな分野に踏み出そう」と、「気持ちの切り替え」は大変なことだし時に面倒で、結局は意地を張って満足している方がラクだったりもする。 ただなんとなく、ニューヨークのタイムズ・スクエアから「SONY」や「TOSHIBA」のネオン・サインが姿を消したのも、似たような「根っコ」にたどり着くようにも思える。