2012-02-29

雑感 〜 あるAl Di Meolaの曲、記録メディアの変遷


   画像はBlue Note Tokyoのウェブサイトより。 ちなみに最近の来日は2010年で、来日は当面は無いようだ。
   最近知った"Al Di Meola"という名前。 Jazzに分類されるようだが、曲調としてはスペインあたりのラテンやタンゴといった印象の情熱系。

   はじめてAl Di Meolaの曲を耳にしたのは、1987年頃のカセット・テープのCM。 「そこが、デジタル・デシベルだ」というコピーを伴い、白黒の画面の中で曲名通り情熱的に"Rhapsody of Fire"という曲を弾いた。そしてその曲名も演奏者も、名前を知り得るようになったのは、このインターネット全盛の近年になってのことだ。

   ほんの20年前、レコードは針で引っ掻けば音が出た。写真は光に透かせば画が見えた。 それらの「保存」という概念は極めて物理的なものだった。 音も写真も映画も、すっかりデジタルに置き換わってしまったが、それらの保存方法、殊に記録媒体に関しては迷走を続けているように見える。

   この2012年の夏には、Appleの"Mac OS X"の開発が終息という噂を聞いた。 今後はタブレット端末 --- 少し前に「スレート端末」と呼ばれていた方向へ開発の重心が振れると言う人は多い。
   キーボードも無くまさに「スレート = 石板」の表面を指でなぞってメッセージを綴るそのイメージには、伝えたい事を石版に刻むように、回帰と思えるほど、よりシンプルに「直感」を重視して進化してゆく面白さを思う。

   ある写真ラボでの会話に、白黒写真を焼くための貸し暗室が、比較的若い年齢層にウケているというのがあった。 「そういえば段々にレコードを聴く人が増えてるらしい」と続き、モノクロ (白黒)写真に新鮮味を感じる向きがあるという。 「ウチの息子なんかサぁ、この前、『オヤジ、モノクロって知ってるか?』って言うんだよ。 知ってるか? って、知ってるも何もナァ」と、皆で大笑い。 「『モノクロ』っていうのを新しいものだと思ったらしいんだよ」と。
   新鮮と感じる感触の支点や論点は、ただ物の「新旧」という事だけでもないらしい。

   音楽からだいぶ離れたが、「直感を刺激する情熱」...かな。 Al Di Meola。

2012-02-28

Voigtländer Color-Skopar 21mm F4 P


    東武鉄道で浅草駅を出発し、急カーブの橋を渡ると「なりひらばし」という駅がある。 かつてはここが「浅草駅」だったというが、そう呼ぶには小さなホームだ。
   「業平橋」という響きが気になっていて、ようやくこの駅を撮りに行く時間ができた。 駅の脇ではやや大きめな工事が行われていて、落下物対策として線路に防護壁がせり出している。 「新しいショッピング・モールだろうか?」 イメージしていた「業平橋駅」とは既に様子が変わっている。 「ちょっと遅かったか」と、シブシブながらシャッターを切った。
   この工事、後に思えば世界一の高さという某電波塔ではないか。 ある意味、「やや早かった」...。

   明日、2012年 2月29日に竣工だそうだ。

2012-02-25

Leica Summicron 50mm F2.0 (3rd)


   「第三世代」と言われるSummicron 50mm。 1979年、カナダ製。
   残念ながら中古で手にしたこのレンズは、1m程度の近距離と ∞くらいの遠景は問題ないのだが、2~5m程の範囲のピントがうまく合わないという不便さがあり使わなくなってしまった。 ピントのズレ方はリニアではなく波があるようで、前の持ち主が自分のカメラに合わせて調整したのだろうとの憶測が立つ。
   描写としては現行Summicronよりも被写体の質感・存在感をよく伝えてくるような持ち味があった。 製造から約30年が経っているというのに"Summicron"の名に全く揺らぎを感じない。

2012-02-24

Voigtländer Color-Skopar 21mm F4 P


   Voigtländerの持つ独特の雰囲気は、時に思いがけないほど生々しい描写に結びつく。
   このColor-Skopar 21mmも同じくその系譜上にあり、加えて、21mmにしては浅目の被写界深度も表現できる。 M8では35mm判換算で28mmのレンズに相当するのだが、なぜか25mmあたりを使用しているような、数値以上の広々とした感触がある。
   ファインダーは覗いて見える範囲以上の広さで写るので、別途で勘かファインダーが必要になる。 また、M8には広角レンズ使用時に四隅の色がシアンに傾く現象もあり扱いにはひと手間かかるのだが、レンズの素描はと言えば、何より「清清しい広い絵」という性格が心地よい。

2012-02-20

Cosina Carl Zeiss C-Biogon T* F2.8/35mm


   久々にC-Biogon 35mmで撮った写真を眺めてみる。
   なんと言ってもヌケの良いところが特徴的なのだが、ヌケというより透明度という方がしっくり来るくらいにさっぱりした描写。 散歩に持ち出すには大きさも重さもちょうどよいバランスなのだが、足を運んで目にした風景を収めるにはいささか画に現実味が欠けて感じられる。
   やや夢見心地 --- そのあたりがこのレンズの見ている先のような気がする。

2012-02-13

CONTAX Carl Zeiss T* Planar F1.4/50mm


   撮影は1年前の2011年。 久しぶりに一眼レフにPlanar 1.4/50を付けて外出。 外出と言ってもこれは通勤途中の道端の風景。
   シックな写り、手になじむヘリコイドの径や個体の重さ、レンズ・コーティングの色とその深みなど何かと馴染む。 ずっと以前、某社一眼レフを手にしてから写真を撮らなくなってしまった時期があったのだが、また写真を撮りだしたのは このレンズを手にする機会を得られたからだった。


   撮影時に、さりげなく被写体が投げ返してくる手ごたえが、このレンズの面白いところ。

2012-01-25

Voigtländer Color-Skopar 35mm F2.5 P II



   写真を撮りだしたきっかけは雲だったように思う。
   入道雲や色彩豊かな夕焼けの雲を好んで撮ったが、そいういえば近年、もくもくと盛り上がる入道雲を見ることが少ないように思う。だからという事でもないだろうが、この頃は淡い色の雲にレンズを向けることも多い。


   ちょっと冬景色。


   冬の菩提樹。

2012-01-20

雑感 〜 Kodakの経営破綻


   2012年1月19日 - 衝撃的なニュースだった。 会社として各サービスはこれまで通り提供、2013年中に持ち直すという計画のようだが、「写真」というものが「化学反応」を脱ぎさってしまったような、実に妙な感触だ。

● 情報元:
http://japanese.engadget.com/2012/01/19/kodak/
http://wwwjp.kodak.com/JP/ja/corp/news/2012/0119.shtml

2011-12-31

Voigtländer Color-Skopar 35mm F2.5 Classic



   12月31日、2011年最後の日。 会社が引けて、電車に乗って、乗り換えて。
   運転手さんも車掌さんも駅員さんも、ごく普通の日常のように勤務。
   なんか不思議。

2011-12-21

Voigtländer Color-Skopar 35mm F2.5 P II


   半蔵門への用事の帰り、ふと歩いてみたくなり赤坂見附の駅を目指して歩をとった。
   この季節の低い角度で射す陽光は、ときに時間を止めているかのような妙な錯覚を呼ぶ気がする。

2011-12-20

パン屋さん ~ スワン・ベーカリー


http://www.swanbakery.jp/

   スワン・ベーカリーというパン屋さん。 天然酵母や職人技というような処とはちょっと違った立ち位置を持つパン屋さん。 何でも障害者の雇用という視点で経営が成されているという、某企業のC.S.R.担当者からお聞きした情報で足を運んでみた。 ちなみにその方はフォンダンショコラがお気に入りだとか。
   銀座に"Swan Cafe"と銘打つ店舗があり、小さな4席のカウンターを有する。 コーヒーも注文してしばしの休憩。 JR有楽町の駅からは歩くと10分強くらいだろうか、やや奥まった場所柄からかゆっくりできた。

2011-12-12

Voigtländer Color-Skopar 35mm F2.5 Classic



   久しぶりにColor-Skopar 35mm F2.5 Classicを装着。
   このレンズはM8と一緒に購入したもので、気分としては、実は見た目も操作感もこれが最も手になじむ。
   なのにあまり使わなくなった理由... というより、光学的な構成が同一と言われるColor-Skopar 35mm F2.5 PⅡの方を多用している理由 --- は、ピント位置がしっくり来ないと感じるからだ。
   個体差なのかもしれないが、このClassicタイプはLマウントで、おそらく元々ピント位置がズレているのに加え、Mマウントへの変換アダプタを介しているため、二重に精度が下がっているように感じる。 何しろファインダーでピントの山を掴んだところから2ミリ~2ミリ強、ピントリングを近景側に廻したあたりがホントのピント位置になる。
   レンズメーカーに依頼してそのズレを補正することは可能だろうが、依頼するにもそれなりの測定精度とやり取りの時間も費用も必要になることだろう。
   ということでこのレンズ、ここ最近は「よほど気分が向いたら散歩に連れて行く」。なのでこの1枚、ちょっとレア。

2011-12-11

Leica Summicron 50mm F2.0 (3rd)



   久々の皆既月食。 写真は 2011年12月10日の23:38頃のもの。
   三脚を立てての撮影。長いレンズで撮りたかったが赤道儀もないのでとりあえずの50mm。
   前に35mm判のフィルムで星を撮った記憶を辿ると、50mmのレンズで、自転している地球上: 北緯35度付近で星や月が画面上で静止して写るためには、露光時間を約7秒以内に収めなければならない。このカメラは高感度撮影が苦手であり、暗い皆既月食の月という条件は良いものではないが、とりあえずレンズ性能を信じながら段階露出。撮影データには若干の手を加えたが、元データにはしっかり皆既月食特有の黄色〜赤銅色の光が収まっていた。
   一般的に「三代目」とされる旧いsummicron 50mmで以前にも月を撮ったことがあり、画面のなかにポツンと写った月を拡大したところ、これがなかなかの解像度。敢えて言ってみると「さりげないシャープさ」 - 言うまでもなくこの特徴は、写真を撮るときの楽しさを大いに増幅する。
   今回は「四代目」summicronにて。

2011-12-10

Voigtländer Color-Skopar 35mm F2.5 P II



   新橋にある立喰いそばの「ポンヌッフ」。
   パリにあるポンヌッフを先に知ってた人にとっては感慨深いネーミングらしい。
   何が「名物」かと言えば、カレーにソースをかけるところ。日本の普通のウスター・ソースだったと記憶しているが、カレーを注文したら「当たり前」のようにソースの容器が目の間にポンと出てきた。この手のソースの味が苦手で、躊躇していたら「いいからかけてみな!」とお店の人。ならばと試したらけっこうイケた。


   こちらはイタリア。場所ではなくてちょこんと見える黒いクルマ。
   先のフランスと、欧州つながりでか「フィアット500」と目が合った。
   新車のようで黒いボディーはピカピカ光っていた。周囲の日本車は「製造された」といった形だが、こちらは「作られた」という雰囲気のフォルムで、それがなんとも心地よい。

2011-10-28

パン屋さん ~ 青梅 konohapan

   東京都の西のほう、青梅の山のなかにパン屋さんがあった。小麦粉の味が主役で、ほんのり薪で焚いた火の風合いが残るような、街の舌にはもしかしたら味気ないけど、素材の薫るなかなかに贅沢な味わいのパン。


   朝の3時頃に火をおこして窯をあたためる。 午後3時頃まで続くというその余熱で焼かれるパンの素朴さに魅せられる。
   もとは山の管理をしている会社で、 山を手入れするときに出る木や枝を使い、パンを焼くことにしたのだそうだ。
   オーストリアから石窯職人が来て石窯が造られた。 パン焼き職人がきて伝統を伝授した。 オープンの日には舞踊団がやってきて、民族衣装で歌と踊りがあったという。
   訪れる都度耳にする - 「この近くに住んでるんだけど、こういう処があるなんて知らなかった」 - そういう感じのパン屋さん。

2011-10-26

パン屋さん ~ 志津屋

   京都で地元の人に人気というパン屋さんを教えてもらった。作り手と材料が生き生きして感じるパン。
   以下、先日いただいた情報。

画像: 志津屋ウェブサイトより            

   志津屋 - 人気のパン屋さんらしいのだが、ちょっと遠い...。
   ちなみにウェブ・サイトでの販売あり。

2011-10-20

Lytro "Light Field Camera" 2012年発売

   Lytroの "Light Field Camera" がいよいよ発売との事。
   概要が発表された今年2011年 6月に「安価で提供予定」という事だったので、安く見積もっても7~10万円程からのスタートだろうと思っていたが、発売価格は16GBモデル (約750枚撮影可) で $499.00、8GBモデル (約350枚撮影可) で $399.00 というから、この突飛とも言うべき技術への代金としてはずいぶんと安く感じる。


画像: Lytroウェブサイトより    

2011-10-04

新宿ニコン・サロン ~「ごくろうさま:ハワイの日系二世」展

   新宿ニコン・サロンにて、10月18日~10月31日の期間で開催。

http://www.nikon-image.com/activity/salon/exhibition/2011/10_shinjyuku.htm#03


   移民というのは、どの国から来た人も、どの国へ入って行った人も、人並みならぬ苦労があるのだろうと思う。 より良い生活を求めて新たな地に踏み入るも、現地の人々とは対等な立場という事はなく、「労働力」として入植するケースが殆どだろう。

   アメリカ本土へ渡った人々は、馬小屋や貨車に住みながら砂漠のように痩せた土地を耕し、太平洋戦争当時は強制収容所に入れられた。
   ハワイでも同様に農地を耕すが、その頭上をゼロ戦が越え、真珠湾攻撃を経験する。 その後、虐げられた待遇も多々あったことだろうが、今では州議会での日系人の影響力は決して小さくない。

   アメリカに渡った人々以上に苦労したのが南米のボリビアやパラグアイにに渡った人々だろう。 当時の外務省が推した、明治の「元年移民」と呼ばれる流れであり、その宣伝を信じて誰もが楽園を目指したのだが、着いた先では塩分のにじみ出る小さな土地を分け与えられ、ほんの5年前ですら、水道や電気も満足に通っていない生活を強いられていた。

   ハワイに住む知人から、「ハワイの移民の事が知りたかったらビショップ・ミュージアムにいくといいよ」 - と教えてもらい、数年前の滞在の折に「チャンス到来」と機を狙ったのだが、とうとう足を運べなかった。
   アメリカ本土、ハワイへ渡った日系人だが、 一世は働いて富を得て、そしてアメリカ人になろうとした世代だと感じ、同時にその魂は日本人以外の何者でもなかったとも感じる。 二世は、そのあり方と、アメリカで生まれ育ったという事実と戦争という世情の中で、おそらく最も「アメリカ人であるべきか、日本人であるべきか」という「アイデンティティ」を自身に問い、また問われた世代ではないかと思う。

   数年前にハワイでお世話になった日系人は、三世と四世だった。
   しっかりとアメリカに根を下ろした日系三世と、アメリカも日本も心の中に同居する四世。 こうして異国に馴染んでゆく人々の強さを思うと共に、そうした姿には、一世・二世の開拓の苦労をもそこに見る気がしてくる。

2011-09-29

ジャズ喫茶 ベイシー

   「ジャズ喫茶 マサコ」の閉店を知ってから、「ジャズ喫茶」や「ジャズ・バー」といった言葉が、なんだか頭にひっかかる。
   「ブルー・ノート・トーキョー」、「ジェシー・ジェイムズ」... 2~3 思い浮かんだ中に「ジャズ喫茶 ベイシー」があった。

   たしか岩手にあるジャズ喫茶だ。
   ジャズ喫茶ベイシー公認ホームページ」を開くと、「ゴールデン・ウィークより営業再開致しました」と書かれていて、なんだかほっとした。
   そしてウェブ・サイトを進むと、ベイシーでのライブ録音盤の販売ページがあった。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~toronto/basie.htm
http://www.liveatbasie.jp/

   興味を引いたのは「アナログ録音」であること。
   ジャズの録音はアナログが似合うと思う。 思い込みかもしれないが、CDで聴くジャズよりも、LP盤で聴くジャズの方が「場」が伝わってくるように思うからだ。
   昨今、なかなかアナログ・レコードで音楽を聴くというのは... 億劫に感じることがある。 写真でも、フィルムの方がデジタル撮影よりもはるかに情報量が多いと分かっていても、「フィルムの作法」を始めるには腰が重い。
   しかしながら、「アナログ」に必要な「作法」を踏み、実際に撮影の段、LP盤に針を落とす段というのは、実に心地よい集中力を伴う。

   「レコーディング」という入口で多くが決まる。 音の「情報量」、「質」、そして「気合い」や「想い」が、演奏をいきいきと聴かせてくれるのだと思う。
   ベイシーのライブ録音 - 現時点のウェブ・サイトでは、ハンク・ジョーンズとのセッション盤が紹介されているが、オープン・リールを用いての録音だそうだ。 デジタル録音は、音をそのままに記録できるが、オープン・リールのようなアナログ機器はそこまでがセッションの一部といった趣がある。 まさに、その「場」に「居る」のがそうした機材で、その後はデジタルでマスタリングされるにしても、この「入口」で息を吹き込まれた音色は、生き続けると感じる。
   「こだわりを楽しむ」、「場を楽しむ」 - かな。 いい世界だと思う。

   何年か前に「ジャズ喫茶 ベイシーの選択」という本を買った。 なかなか読む機会なく今に至るが、無性に読みたくなってきた。

画像: 各ウェブサイトより

   「2~3 思い浮かんだ」もの:

http://www.jazz-sawano.com/ 澤野工房

   澤野工房ウェブ・サイトより --- 『ここは大阪、新世界。私共は通天閣のお膝元のこの地から、数多くのジャズ作品を世に送り出している小さなジャズ・レーベルです。「自分が聴きたい作品をリリースする」という言葉をモットーに、ヨーロッパを始めアメリカ、日本のモダン・ジャズの中から優れた音源のみを厳選し、皆様にお届けするべく日々奔走しています』

http://www.jj-smile.com/ ジェシー・ジェイムス 福生店
http://homepage2.nifty.com/jessejames-tachikawa/ ジェシー・ジェイムス 立川店

2011-09-28

雑感 〜 電子書籍、「自炊」、タイムズ・スクエア

   “ジャズ喫茶「ベイシー」の選択” という本を購入してから随分と時間が経った。 本と言っても電子書籍だ。 当時は"XMDF"という、ある電子手帳の開発元が発案したファイル形式を用いたものが主流で、「本」を手のひらに収まる携帯端末で表示させるにはよく出来ていた。 数冊をポンと小さく持ち歩ける感覚は、なにしろ便利だった。
   ここ数日、「ジャズ喫茶 ベイシー」の事を思い出し、その本を読もうと思ったのだが、いま手元にある携帯端末、いわゆる「スマート・フォン」では世界的に浸透している"ePub"形式は表示できるものの、"XMDF"は表示することが出来なかった。

   「ガラパゴス」と言われて久しい日本の携帯電話事情だが、気がつけば関連するあらゆるものが「ガラパゴス」だった。 世界に対して閉じた規格が巾をきかせる「鎖国」のような世界。
   その「開発元」が、そうした「ガラパゴス」をモジって(?) 「ガラパゴス」という、世の電子書籍動向を意識した端末を販売した。 ここから広がりが出るかと思いきや、残念な状況は何ら変わるところはない。

   「自炊」と呼ばれる、本を電子書籍に変える「手順」がある。 これが出版社から非難されたというニュースもあったが、そもそも"購入"した「本」を、持ち主が加工するのだから、それを自分で読む限りは非難される理由は別段見当たらないのではないか。 その「手順」、つまり本をバラして1枚1枚の紙の束にして、機械にかけてデータにするという過程であるが、これを自分で行うのも、業者に依頼するのも、そこに出版社が意見する余地を見出すのは無理がありそうだ。

   電子書籍は出版社から読み手まで、ほぼ直接に「本」が届く。 つまり「問屋」が要らない。 そのために出版社、その関連の流通経路にとっては、この「問屋」機能が無くなるところに危機を感じているのだろう。 ただ、電子書籍が日本にも浸透した結果、紙の「本」の流通量が目に見えて減少するかというと、そうでもないと感じる。 「自炊はいけない」と自炊代行業者に書面を廻す労力も大事なのだろう。 一方、電子書籍を販売する設備と経路を備える事に注力するのも活路だろう。

   「自炊はいけない」 は、ごく内向きな感情論的に映る。 とはいえ「新たな分野に踏み出そう」と、「気持ちの切り替え」は大変なことだし時に面倒で、結局は意地を張って満足している方がラクだったりもする。 ただなんとなく、ニューヨークのタイムズ・スクエアから「SONY」や「TOSHIBA」のネオン・サインが姿を消したのも、似たような「根っコ」にたどり着くようにも思える。