2012-09-09

Leica Connection ~ ハービー・山口氏 トークショーへ


   トークショーに出かけて行った。
   写真展には時々足を運ぶのだが、トークショーを目したのは初めてのように思う。
   久々の土曜。 街が休日色をしていて、トークショーの会場も人がたくさん。

   ハービー氏のライカとの出会い、ライカを通じての人との出会い、人の写真を撮った時のエピソード、人々との出会いの話、そしてハービー氏の座右の銘と生き方 等々、内容は多岐に渡った。


   始め氏は、緊張して見えた。 こういう場は慣れているだろうになぁ、そう思った。 その話の内容には飾りっ気がなく、「緊張」と映ったそれは、おそらく氏の真摯さなのだろう。 そしてそれは語感・行間に滲み出てくる感がある。 数々の話題からも経験豊かに過ごされたこれまでを知る事ができるが、今に至るそうした話の中には、"思い切り"のようなトーンを感じた。 それは過去、自分の好きなところも嫌いなところも、思いきって受け止めてきた氏の真剣勝負の結果なのかもしれないと感じた。
   なかなか、自分自身に思い切るというのは簡単ではないように思う。 「誰かのために自分ができること」そう言ってたっけ - その思いが何かを越えさせるのだろうか? 実は、たぶん肝心なそこがモヤモヤしているのだが、トークショー、行ってよかったナと思う。

   今、ハービー氏は東日本大震災の被災地のため、「HOPE」というシリーズで写真を撮っている。
   写真集は「HOPE」、「HOPE 311」とシリーズを重ね、写真販売などを通しても寄付を行っている。
   現地で人々と出逢い、「撮らせてください」 - 「撮ってくれ」 - そう返ってくる互いの近さが更にまたハービー氏の、また写った人々と相互に活力へと直結するのだろう。


   さて - 写真は好きなのだが、実は写真家やカメラマンについての知識はすこぶる薄い。 ハービー・山口氏も... 実は近年までよく知らなかった。
   以下の写真はハービー・山口氏のウェブサイトからの引用なのだが、この「Snowy Day」との最初の出会いは、ある画像共有を目的とするウェブサイトでの、言ってみれば拾いものだった。 まさかプロの写真が転用されていると思わず、「こんな写真が撮れるヤツがいるのかぁ、何でもない窓の下の景色だろうに、一気にその場に気持ちが持って行かれるこの吸引力はいったい何だ!? いつかこういうのを撮るぞ」 と思ったのだった。
   それがつい最近になって、「ハービー・山口」という写真家の作品だと知った次第である。 どうりで... だ。 ハービ氏も、ハービー・ファンの諸氏も、これを聞いたら呆れることだろう。 時代こそ違えど、ドアノーやブラッサイ、エリオット・アーウィットと同様、こうした、醸す「人間臭さ」が伝わってくる写真家はそう出会えるものではない。 「呆れ」とは、「それを知らなかったなんて...」である。 同じく、もう少し早く出会いたかったと思う。 ただ良かったのは名前からではなく、作品からハービー氏の世界に引き込まれたことだ。

   もちろんハービー氏の名は以前から知ってはいたが、その作品の作者だと知った瞬間は、自分の思いが「その名」に結びついた瞬間だった。 それは - 自分にとってこの「Snowy Day」には、凝縮された、もう20数年前にアメリカのオレゴン州の小さな街で過ごした がむしゃらと静寂の日々、まさにそのまんまの感触があったのだ。

   From: Herbie Yamaguchi Web Site

   こちらはジャズ・ピアニストの上原ひろみ の動画、YouTubeより。
   トーク・ショーの朝、テレビ番組で紹介されていたのがこの上原ひろみなのだが、これを通してハービー氏が反応したのは「小さい頃にピアノを弾くと、周りの人が笑顔になるのが嬉しくてピアノを弾き続けた」という言葉だったようだ。
   周りの人を笑顔にする術 - なるほど写真との共通点。 いい楽器との出会い - ライカとの出会い。なるほど。


   http://www.youtube.com/watch?v=zkMcHUULU_A
   http://www.youtube.com/watch?v=hftj2jne4xU&feature=related
   http://www.youtube.com/watch?v=FKGwIjqdm3A&feature=related


   こちらはトーク・ショーの最後にハービー・山口氏が撮影されたカット。
   写っているのは参加者である。 何でも、ハービー氏が撮った人々には末広がりの幸運がやってくるという。 ここに掲載するにあたっては、顔がハッキリ見えないよう解像度を下げているのだが、それぞれの笑顔が見づらくなってしまったのが残念なくらいの和んだ空気。