2014-07-30

Pentax Super-Takumar 55mm F1.8

Kodak Kodacolor Gold 100 (GA)

   24年前の今日、7月30日に降り立った駅のホーム。 どことなくアメリカ東南部らしいと思ってしまう作り。

   ここは、軍と共に発展して来たノース・キャロライナのフェアティビルという街。
   ざっくり言うと、街があって、そのすぐ隣に同じくらいの面積の陸軍の基地がある。 訪れた夏は、ちょうど湾岸戦争が始まろうとしていた頃で、この駅でも、戦地へ赴く軍人さんと残る家族という場面を幾つか目にした。 基地のショッピングセンターでも、軍人さんたちの目つきや空気がピリピリしていた。

   この駅の周辺は、かつて黒人奴隷を売買していた市場があり、街の造りとしては、つい1950年頃まではこのあたりを中心に栄えていたのだろうと推測される。 近年は郊外に大きな道路が出来、ショッピングモールが建ち、商業的・居住地的な「街」の中心は西へと移っているが、図書館などの公共施設は変わらずこの駅の東側に広がる市街にあり、1998年頃よりは、他の地域と同様に景観は「美化」されつつ新たな街の姿を構築しつつある。

   長く伯母・伯父の住んだこの地は、自分の中の「アメリカ」のルーツになっている。 ただ、様々話を聞くなかにできたそのイメージの絵柄は、西海岸のロス・アンジェルスのサンセット大通りやラ・シーネガ通りが充たっている。 おそらく1970年代後半に日本で放映されていたテレビ・ドラマの影響だろう。

   ずっとイメージでしかなかった「ルーツ」の地にようやくたどり着き、それは安堵とも帰郷とも感じる時だった。

2014-07-27

Tamron 70-210mm F3.8-4.0 "46A"

Kodak Kodachrome 64 (PKR)
   "Rainy State"と呼ばれるオレゴンの雨季の午後。
   それはそれは大きな粒の雨が1時間ほど降り続く。 午後3時頃にやってくるこの雨は、すこし温度が高め。 陽光が射しながらというのも珍しくなく、降り終わると虹が現れる。 ホノルルの虹には大きさで負けるが、負けないくらいの出現率。 この雨季はひと月ほど続く。

   印象としては、秋頃に降る小さな粒の雨の方が"Rainy State"という音に似合う。 レイン・ウェアに当たると糸のように細い軌跡を描く雨で、傘をさす気にならないくらい空気に馴染み街並みを濃く色づけする。
   かと思えば、冬を前にした一時期の夜中には、2m先が見えないくらいの大雨が降った事もある。
   "Rainy State"のもう一つの風景は、原始林のなかの、小さな粒のしとしと雨。 苔のたくさん絡むオレゴン杉に囲まれた静かな森では、時間という概念を忘れてしまう。 cf. Opal Creek -> GEO Tag: 44.842649, -122.202217

* "Rainy State"とは、おそらく住人の思うところの、或は土産物に州の特徴を表すために使われ始めた言い方ではないかと感じている。
正式にはオレゴンは "Beaver State"であり、ビーバーの絵柄は、州旗をはじめ時折象徴的に用いられる。

2014-07-20

Konica Lens 33mm F8

Kodak Kodacolor Gold 400-2 (GC)
   1990年9月下旬、冬がやってくる前にと小さな自転車旅行に出た。
   住んでいた街からは90kmほど西の海が目的地。 そもそも海岸線まで辿りつくのも容易ではない道のりと思っていたので、ココと決めた目的地ではなく「とにかく目指してみよう」と、段階的に辿り着ける地を仮定しつつ走り出した。
   最初は平坦だが、1時間も行くと丘になり山道になり、丘はギアを落として15分近くかかる長い上り坂で、この昇り降りがしばらく続く。 やがて山道に入ると多くが登り。 この半年前、「自転車で海まで行った」という連中の話では片道7時間半。 クルマでは1時間強で簡単に走り過ぎるが、この登坂は随分と体に堪えた。

   結果は、海岸の街まで4時間45分だった。 早めに着いたが足には力が入らなくなっていて、スーパーでパイナップル・ジュースを買い、駐車場にヘタり込んで少しずつ喉を潤した。
   30分は動けなかったが、せっかく早く着いたので先へ進むことに。 また長い坂道を越え、平坦な道では海からの強風でなかなか進めず、それでも3時間も走った頃に次の街に着いた。

   パシフィック・シティーという小さな街で、住人のほかに早朝から船で沖に出て釣りをする人達がぽつぽつ訪れる風なところだった。 街全体が落ち着いた穏やかな印象で、このお店「Fat Freddy's Fast Food」はその少し外れにある。
   夕刻の風も心地よく、寝場所を探してゆっくり自転車を走らせるうち、この日は、釣りに訪れていた人たちの借りているロッジに泊めてもらえることになった。 夕飯は釣り人4人に白い小型犬、合計5人と1匹にて裏庭にせり出した広いデッキでB-B-Q。

   夜、ロッジの屋根裏部屋にベッドと寝袋を用意してくれた。 「どこに泊まるつもりだったんだ?」「来る途中にあった教会の脇で寝ようかと考えてた」「寝袋は?」「持ってない」「この時期に寝袋ナシで外で寝ると死ぬぞ。それくらい冷えるんだ」と。 そして、小さな窓を開けて「波の音が聞こえるか? ... 近くじゃない、ずっと遠くで響いてる音だ。...低くて大きな音だろう? ... 嵐が来るんだ... あさって。」と話してくれた。
   その話どおり、2日後には雲低く、秋にしては粒の大きな雨が地面を叩き続けた。

* コニカ フォト・パイ: 1989発売の小さなプラスチック製のカメラ。 F8、1/125固定、1.2~∞の固定焦点、ストロボ付きと、当時よく見た「使い捨てカメラ」と同様の仕様ながらフィルム交換ができる。

2014-07-18

CONTAX Carl Zeiss T* Planar F1.4/50mm

Kodak Kodachrome 64 Professional (PKR)

   ヒーボーの丁字路にあるレストラン、ヒーボー・イン。 「イン」というくらいだからモーテルか何かかと思い調べてみたが、1コだけ「アパートメント」という記述を見つけたのみ。 釣り人相手の長期滞在の宿なのか、ホントにアパートなのか。 いつかこのレストラン、ふらっと立ち寄ってみようかな。 Root Beerもあるかな。

   Wao! I found this picture below on Flicker. Clicking the photo shows the original page. (Photo by Rick Ele)
   It's the HEBO magic!!! This is taken on October 21, 2013 according to the information on Flicker. HEBO INN had grown in these fourteen years.

2014-07-17

CONTAX Carl Zeiss T* Planar F1.4/50mm

Kodak Kodachrome 64 Professional (PKR)

   この公衆電話は、ブースがやや古びた感じで、背景にある雑貨屋さんもその周囲に幾つかあるお店も、町外れの、しかし長いこと運転をして来たところにぽつっと現れるちょっとしたオアシスのような安堵の風景の中にある。

   ヒーボーという小さな町。 オレゴンの海沿い、101号ハイウェイと22号線 (スリー・リバーズ・ハイウェイ)との分岐点がこの場所。 撮影は1999年。
   海沿いを行く101号線と分岐した22号線はやがて山道となりクネクネと曲がる。 途中にはアンティークショップがぽつんとあり時に民家が点々とあり、やがて州都セーラムへと辿り着く。
   9月の終わりの早朝、ここを自転車で走った事があるのだが、空気は冷たく、露出したふくらはぎは思うように動かず痛みを伴った。 そのためゆっくり走っていたのだが、3時間以上経った頃だったか大きなカーブを過ぎると陽の光が体に当たりはじめた。 するとスッと痛みが引いてぐんぐんスピードが上がり、それは陽光の力を如実に感じた瞬間だった。

   ヒーボーの丁字路、その真上では、道の両端から渡されたワイヤーに吊され警告灯が黄色く点滅している。 101号線を北上してくるとやや遠目からこれが視界に入るのだが、その点滅は「さぁ、どっちに行きたい?」とも「ヒーボーへようこそ」とも言っているようで、それがなんとなく、笑みを浮かべて手招きしているようにも見える。

2014-07-14

CONTAX Carl Zeiss T* Planar F1.4/50mm

Kodak Kodachrome 64 Professional (PKR)
   オレゴン州の内陸、カルバーという街での1枚。 時期は1999年の夏。
   場所は、サウスウェスト・カルバー・ハイウェイとサウスウェスト・ジェム・レーンの交わる丁字路。 テレビ・ドラマ「オレゴンから愛」のロケ地 - マドラスの街から約10km南に位置している。
   1999年当時の記憶を辿ってみたがもう15年も前のこと、97号線沿いの場所と思っていたがそこからはだいぶ離れていた。

   1990年にはまだ付近の農地に木製の風車が見られた。 高さ10m程だろうか、その先に「かざぐるま」といった風の羽を持つやや小ぶりなものだ。 風車の用途は分からないが、おそらく用水路や貯水池、あるいは地下から水を農地へ汲み上げるための動力なのだろう。
   セントラル・オレゴンと言われるこの土地は、古くはインディアンの生活の地であり、近くは入植した農夫の土地であり、かわらず遠くにマウント・フッドやスリー・シスターズといった山々を望み、おそらく人には厳しい自然環境だと思うのだが、実はそこに足を踏み入れた者にはこの上ない慈しみを染み渡らせる --- そうした土の匂いがする。

2014-07-13

雑感 〜 NEOPAN PRESTO

   記事は見たけれど、その時にはあまり意識に引っかからなかった。
   5ヶ月も経って急に気になった理由もわからないが、思えばPRESTOは初めて現像した白黒フィルムだ。
   確か1987年の6月頃、在籍していた高校の文化祭に出展するため、現像道具と薬品を買い込み、ぶっつけ本番でフィルム現像を行った。
   富士フィルムからは「スーパー・プロドール (SPD)」という「万能現像剤」が発売されて間もない頃で、増感特性に優れると言われる標準感度でISO400のPRESTOとSPDで、ISO1,600への増感現像を行ったのが1本目と記憶している。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

      135サイズ「ネオパン400 PRESTO」および
      120サイズ「フジカラーPRO400」販売終了のご案内

2014年2月28日
富士フイルムイメージングシステムズ株式会社
   日頃より富士フイルム製品をご愛用賜り、誠にありがとうございます。
   富士フイルムイメージングシステムズ株式会社(社長:小島 正彦)は、写真フィルムの一部製品につきまして、需要の減少によりご提供の継続が困難となりましたため、下記の通り、販売を終了させていただきます。
   誠に勝手ではございますが、何とぞ事情をご賢察の上ご容赦賜りますようお願い申し上げます。
   今後とも富士フイルム製品に変わらぬご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

   結局このフィルムはあまりしっくり来ず、フジの白黒フィルムは、ISO100の「NEOPAN SS」やISO50の「NEOPAN F」と使ってみたがやはりピンと来ず、最も多用したのはKodakの「Tri-X」と「Plus-X」で、現像液は「Microdol-X」と「D-76」を使う事が多かった。 それらは超微粒子に処理しても、粒子を荒らしてみても、なかなか幅広くトーンを作ってくれた。
   過去形なのは、近年ほとんどフィルム撮影をしなくなってしまったため。

   やや話は変わり --- つい先日、ずいぶん前に撮影した写真を眺めて妙な気分になった。 使い捨てカメラ風な仕様のプラスチックのカメラに一般的なカラー・ネガ・フィルムを詰めて撮ったものだ。
   周辺光量が、シャープさが、ハイライトが、と言ったらキリが無いくらい色々と目につきだすが、写真としては「心象」をよく映して見える。
   1コ 3千円ほどのカメラでパチッと撮った画を妙に気に入ってみたりするが、一方、カメラ本体の性能がどうの作りがどうの、レンズの描写がどうのという世界で創り出す画もまた愛着がある。 時に、どちらも撮った画への思い入れは差異なく強いことがある。 ヘタをすると前者のほうが、まんまイメージ通りだったりもする。 ふと我に返り、大枚はたいて「いいカメラ」を手にする意味って何だ!? という妙な心持ちになる。

   フィルムで写真を撮る時は、フィルム選びが実に面白い。 異なるフィルムそれぞれの描写力が画作りに直結するからだ。 カメラ・ボディーも操作感や重量といった要素が大事だが、基本的には光を調整してフィルムに届かせる箱である。 レンズはどうだろう? これはメーカーや銘柄や時代という個性が出るのでこれもまた楽しい選択である。
   デジタルでは、今度はカメラ・ボディーに光を受ける仕組みがあるので、ボディーがフィルムの役割を担うことになる。 レンズ選びの楽しみはフィルムの時と同じくである。 となると、どれだけ幅広い映像表現を得られるかという意味でのボディー選びが、フィルム選びと同じく重要になってくる。

   そう考えると、「やはり良い機材で撮影に臨みたい」という気合いの入る話になるのだが、やっぱり、手軽な機材で「あっ!」「ぱチッ」と撮る写真という感触は捨てがたい。

   もっとも、「カメラ」を使いこなせていれば、どんな撮影道具であっても「あっ!」の瞬間に「ぱチッ」なのかもしれない。

   いろんなところがもどかしい。

2014-07-10

CONTAX Carl Zeiss T* Planar F1.4/50mm

Kodak Technical Pan (TP2415)
   シカゴ・ダーメン駅にて。
   ワシントン D.C.のカーペット敷の地下鉄車内や、きれいに作り込まれた駅舎とは対照的に見えてしまう、ややシカゴの郊外の駅。
   1990年の夏、始めてここに降り立った時は、改札とホームを結ぶ階段の両脇には鉄条網が巻かれ、ホームから見下ろす街は、暑さのせいもあったろうが殺伐として暴力的な光景だった。
   それからどのような変化が起きているだろうか。 1990年当時、アメリカの多くの風景について「100年後に来てもおんなじ風景なんだろうな」と友人と話したのを覚えている。
   それが1998年頃からアメリカの各所で大きく街並は変わり始め、チャコール・グレーの似合う街だったニューヨークですら色彩豊かに安全な場所へと変化を遂げた。 その時代その時代で、個々の主観的に「懐かしい風景」は遷り変わるものだとは思う。 自分にとっての「古き良きアメリカ」はこの1990年で、とりわけ人なつこく、旧きも新しきも馴染みよさそうだと印象を持った街、シカゴ --- そうした心象に見る温かさと、ホームにぽつんと取り付けられた裸電球が「はっ」と結びついた。

2014-07-09

CONTAX Carl Zeiss T* Planar F1.4/50mm

Kodak Technical Pan (TP2415)
   シカゴの市街地を少し離れたところに位置するダーメンという駅。 ホームでの待合所にて。

   シカゴは人懐こい街というイメージがある。 以前道に迷った時に、地下鉄の車内で居合わせた人が「ここで乗り換えるんだ」とわざわざ下車して案内してくれたのがこの駅で、真夏の夕方、ミシガン湖を渡ってきた風なのか、涼しい微風とこの木製の駅舎の佇まいに安堵した。 その後も道に迷い続けること約5時間 - たくさんの人に助けられた。

   撮影はおそらくテクニカル・パン。 現像液は本来Technidolを用いて適切なコントラストを作り出すが、見るとずいぶんとコントラストの高い仕上がりで粒子も粗く、Microdol-Xを1+3あたりに希釈して使用した感がある。
   Technical Panは、元々はマイクロ・フィルムのようなコピー・フィルムなのだろうが、専用の現像液との組み合わせで一般撮影にも対応し、1980年代のKodakのパンフレットには「35mm版で4x5(シノゴ)に匹敵する解像度」と謳われていた。 いつもならPlus-XかTri-Xを選ぶところだが、TPの選択とは、この旅への気合いを感じる。 ...あれ、でも残念。 ちょうど目のところに映り込みが。

2014-07-08

Yashica Carl Zeiss T* Tessar F3.5/35mm

Kodak Ektachrome 100 Professional (EPN)
   たぶん何ていう事もない、普通の朝の風景。
   処々で新旧の入り混じるミラノの街ではあるが、基本は古くからの石の街。 アメリカの200年ほどの歴史からすれば、圧倒的な時間の流れを感じさせるのがその石造りの建物たち。 その存在感には、空気さえもが敬意を払っている風に、やや厳格な重厚さを帯びている。
   道路を往く古い自動車もその風景の中では新参者。 この時間的な単位のずれに身を置くのも、ヨーロッパ旅の楽しさなのかも。

2014-07-07

Yashica Carl Zeiss T* Tessar F3.5/35mm

Kodak Ektachrome 100VS Professional (100VS)
   ミラノの朝。 6時少しくらい前だっただろうか、あたりは真っ暗でまるで夜なのだが、モヤの中に浮かんだオレンジ色の太陽が、少しずつ少しずつ明るさを増し、ゆっくりと朝がやってきた。
   その太陽は、一見それが太陽だと思えないほどに空とのコントラストは低く、遠くすりガラス越しに電球が光っているかのようにポツんと街並の合間にあった。
   次々やってくるオレンジ色の市営の路面電車「トラン」はどれも満員で、停まるごとにたくさんの乗降客が流れる。 暗くもの静かな風景ながら、どこか躍動力を感じる人の流れ。

   バールに立ち寄り、甘い蜜のかかったクロワッサンと香りの強めなカップチーノをお腹に入れ、こちらも仕事へ向かう。

2014-07-05

Yashica Carl Zeiss T* Tessar F3.5/35mm

Kodak Ektachrome 64 Professional (EPR)
   1999年、イタリア・ローマにて。
   やや雑多な街の風景に、溶け込むとも主張しているとも見えてしまう小さな車。
   よく「ゲタ代わり」とか「ゲタ車」なんていう言葉を聞くが、この車にはもはや、「ゲタ」を突っかける一動作すら感じさせないほどに人の日常や街の息づかいに馴染んで見えた。
   それこそ長い年月を過ごしてきたのだろう、数十年街を見続けている街路樹に、たまたま走って移動する機能があると言った風に、当たり前のように道端に場所がある。
   性能を追いかけ日進月歩の市場はどこ吹く風、いつまでも「オレの街」を自分のペースで走り続ける。 こういうのもまた、クルマの世界の面白さかも。