2016-10-11
2016-10-10
2016-10-09
2016-10-08
2016-10-07
2016-10-06
2016-10-05
2016-10-04
2016-09-03
2016-09-01
雑感 ~ 2016年8月頃の写真機事情、多々雑感。
-- 作成中 --
2016年8月までのこの期間、LeicaやHasselbladからの新製品の噂、ソニー「Aシリーズ」終息の噂、ソニーα7シリーズ用のマウント・アダプタの発表と、気になる動きが多かったように思う。
本ページ、偏向気味な個人のメモの寄せ集め。 情報収集に来られた方、..悪しからずですm(_ _)m。
Aシリーズは、ライブ・ビュー機能やEVFを採用するなど、現在の「ミラーレス一眼」の要素を早くも2003年頃から搭載してきた。 この流れの進化のように「α7シリーズ」ができ、「やや大型化する」と言われる「α9」が Aシリーズの貫禄を引き継いで旗艦機として次代の「ソニー α」を形成してゆくという流れはアリだと感じる。
「α7 mkIII」と「α9」登場の噂が持ち上がっているソニー。 α7RIIでは昨年2015年に4,000万画素を超え、α9は7,000万画素超えと言われる。 受像センサーはもちろん、シャッター機構の精度の向上など様々な延長上に「α9」が来るわけで、この「集大成」感は是非とも神経を研ぎ澄まして対峙してみたい。
4,000万画素で思い出すのは、2011年に登場したPENTAXの「645D」と2013年登場の同社「645Z」。 名の通り「6x4.5」サイズの中判フィルム・カメラにルーツを持つデジタル・カメラ。 受像センサーはKodak製CCDで、大きなセンサー・サイズと画素数が捉える質感描写は、やはり「中判」ならでは。 645D/Zを手にしたときの感触も、撮影にと向き合う適度な緊張と期待を体内から呼び起こす感じがする。 PENTAX 6x7がそうだったが、ばっちんばっちん攻めこむような心地よさがある。
Hasselbladから中判ミラーレスが発表された。 デザインをはじめ、様々にかつての500/503を意識してそうだが随分と雰囲気は異なる。
2016年5月27日、Leicaからは、なんと背面液晶画面がないデジタル・カメラ「M-D」が発売された。 「typ.262」と呼ばれるこの機種には、「Leica M」という名の背面液晶画面ありのモデルも存在する。
背面液晶画面ナシ。 撮影結果を確認できないという、まるでフィルム・カメラのような在り方で、その方向性、現像するまで仕上がりが分からない緊張感といった写真の楽しみ方に異論はない。 ただ経験上、液晶画面で動作状態が確認できないというのは、Leica製カメラとしては不安が大きい。 シャッターは普通に切れていたがデータは記録されていなかったとか、途中で画像確認できていればこの異変には気づいていたかも、とか。 実はLeicaこそ背面液晶画面が必須だと強く思ってしまう。
Typ.262のサンプルはインターネット上に多々見る事ができる。 総じて「さすがの質感描写」。 前作typ.240の印象と比較すると、ぐっと落ち着いた感がある。
Typ.262は見るからに実にシンプルな機械で、画像も完成度の高さを思う。 一応、typ.262も「LEICA M」という名称であり、性格は違えど typ.240と近い立ち位置にいるのだろう。 そしていま、新たに発表が期待されているのも「LEICA M」という名称であり、ISOダイアルが付くとか、背面液晶画面の大型化などが話題に上がっている。 様々に機能を盛り込んだ typ.240っぽくなるのか、全く別の「線」ができるのか、その落としどころは見どころ。
そして、より興味を惹かれるのが「M-E」の後継機の話。 名称は「M-SかM-E2か」。 何れでもよいがこの機、CCDセンサーを積むという。 実はLeica M typ.240が出たときにC-MOSセンサーになった事を随分と残念に感じてしまった。 もちろんC-MOSになろうが他の方式のセンサーになろうが、ライカらしさを失うことはないだろうし、typ.240は階調表現の滑らかさにその特徴をうまく出しているとは思う。
この「残念感」は、どうやらここ数年使い続けているCCDセンサー機「M8」の心象的な空間描写が、勝手に体に馴染んでしまったことに起因する。
M型初の35mm判フル・サイズ・センサー機となった「M9」の描写はよりクールになり、これまた違った世界観なのだが、この両者に見る「時間感」といった空気の重みを僅かに残す画作りこそ、「CCDセンサー機の特徴」であると同時に「ライカらしさ」だと感じていたようだ。
どちらのセンサーの優劣の話でもなく、次期「M型」にこの選択肢があるのは非常に面白い。
以下の画像は、次期「M-E」とされるもので、湾曲したボディや光沢のある金属のラインなど、これまでの「M」とは少し路線が異なルる印象。
ライカのCCD機、M9、M9-P、M-E、M Monochrome (初代M Monochromeのこと。 二代目のtyp.246はC-MOS) については、2014年12月頃に「センサーのコーティングが変質・剥離し、絞り込むと線が映り込む」、「撮画像に白点が現れる」という現象が確認された。 これが「新世代CCD開発により改善された」と聞いたのが2015年09月。
まずは問題解決の為だったのだろうが、ある意味CCDセンサーの開発を続けているわけで、この「問題解決」を弾みにしてCCD機がこの先も継続的に発表されると期待したい。
Leica M typ.262とM-Eの画像の差異、なかなかに微妙。
以下の"sample photos comparing files from the M-E and M262"には、Typ.262とM-Eとで同じ場所を撮影した画像が挙げられている。 どちらで撮られたかを気にせず、「好み」と感じた方をデジタル現像してみたところ、12シーン中 Typ.262が6枚、M-Eが6枚と、半々という結果だった。
○2016.12.31追記 ---
今月上旬にライカの販売店に立ち寄った。 そこで出たM型ライカの話のなかで、店員さんは「今後CCDセンサーを載せた機種は発売されません。 CCDは色々と不具合がありましたし、Kodakが製造を止めてしまったので作りようがありません」と断言されていた。
そして、「CCDセンサーは在庫が無くなって行きますから、それが終了したら修理は不可能です。 CMOSセンサーに置き換えるサービスなども不可能だと思います。 ですのでM8、M9のお客様には買い替えを勧めています」 ...「はい、電子機器ですから」と。
頑張って「デジタルM」ボディ1台を15年もたせるとして、自分はあと何十何年生きてるだろうか? うち、撮影〜デジタル現像を愉しめるのは何歳までだろうか? では、買い換えるとしたら何歳くらいがよいのか? 限られた懐具合・カメラのライフ・サイクル・自分のライフ・スパンとのご相談。 まさかカメラの購入にここまで考える要素があろうとは...。 この機械、この存在感の大きさは - 良くも悪くも...。
もう1つ。 「Leica T」 (Silver)が製造終了という話。 アルミ塊を削りだして作る贅沢なボディ。 発売当初に「これ、どれくらい作り続けるつもりだろうか?」とふと思ったのを思い出す。 APS-Cサイズのセンサーでレンズ交換が出来る小型軽量なボディ。 そしてシンプルで端麗なデザインには、M型とは違った所有感と撮り歩く楽しさを思う。
「T型」もまた新たな展開となるようで、そのデザインと素材がどのようになるのか? また、「コンパクト」カメラの在り方を含め、APS-Cセンサーの小型カメラの地図がどのように描かれるのかが楽しみ。
*Leica Qはフルサイズ・センサー搭載機
2016年に発売されたFEマウントのレンズは、Sony-ZEISS Diatagon 1.4/35、Sony-ZEISS Distagon 1.4/50、ZEISS Batis 2.8/18、Sony 24-70 F2.8 GM、Sony 70-300/4.5-5.6 G、Sony 50/1.8、Sony 85/1.4 GM、Sony 50/2.8 Macro... と、なかなかの豪華さ。 今後はコンパクトなレンズの発表にも期待したい。
また近く、Loxia 85mm、Batis 60mm Macroなど、合計5~6本が発表されるという噂もある。
さて少しライカのレンズにも触れてみると、SUMMICRON-M f2/35mm、SUMMICRON-M f2/28mm、ELMARIT-M f2.8/28mmが2016年03月にリニューアルされた。 この9月にはSUMMARON 28mm f5.6が発表されるとの噂がある。
先の3機種はフードの変更があり、'Cron 35mmは絞り羽根の変更、'Cron 28mmとELMARIT 28mmは歪曲収差の補正が成されたと言われる。 昨年リニューアルされたSUMMARIT-Mも、実はタル型収差の改善があった。 また、以前のELMARIT-M f2.8/28mm ASPH.には、Olympus E-M1やSony α7Sでフリンジが強く出た経験があり、実はこうした収差も改善対象だったのではないだろうか。
総体的に完成度の高いLeicaのレンズではあるが、更に次代へ馴染ませるための改変が進められているのだろう。
ちなみに、2010年頃の展示会でZMレンズについてコシナの方に質問したなかに、「(ZMシリーズの某レンズについて)再設計するつもりはない」と返答を頂いたことがある。 ZEISS(ソニー製ZEISSは含まない)という光学設計の哲学者(社)は、レンズ1機種1機種を「結論」として世に送り出すような傾向があり、その返答には一応「なるほど」。 既存レンズの「改変」よりはむしろ「新シリーズ」で応えるのが、特にここ10年ほどの流れと言える。
若干気になっているのは、この先、ZMシリーズに新たに大きな動きはあるのだろうかというあたり。
大雑把な感想だが、ZEISSのレンズは斬新さと正統性から来る「艶」、LEICAのレンズは正確さと確実性から「端正」という印象を持つ。 またある意味、ユーザーに対して前者は「提案型」、後者は「結論型」の完成度を思う。 ZEISSとLeicaのレンズは、開発者の目線とユーザーとの対峙目線とがちょうど対称的な図式と見えなくもない。
この両者、昨年頃からレンズのリニューアルがちらほら。 ZEISSでは"Classic"から"Milvus"への移行、Loxiaのこだわり、Batisの冒険があり、LEICAではSUMMICRON-M 35mmといった代表格の改変があった。 そうした今年、これまで好まれてきた「レンズの味」といった感覚は、よりシビアに歪のない「端正」な方向へとシフトしているのではないだろうか。
こうした改変は、単に高画素化するカメラへの対応というだけではないように感じる。 Leicaの「M型デジタル」発売から10年目の今年、歪みなく高精度な写真の世界が大きく歩を進めつつあるようで、気が早い話だが「写真世界の哲学」の、次の10年への思いを馳せる。 例えばLEICAには「LEICA色」を感じるが、画作りに一貫性を感じないメーカーもある。 気がつけば近年、多くのカメラ・メーカーで「フィルムの色」を必ずしも基準と考えていないように見え、自由に基準を動かせるデジタル故、次の10年では「基準の完成度」を、ボディ・レンズ共により問われそう。
マウント・アダプタも気になる製品が幾つか見られ、目立たないながら面白い存在がSIGMAの「MC-11」。 Sony α7シリーズのボディに対し、SIGMAマウントのレンズ用とCanon EFマウントのレンズ用の2種類が登場した。 Sony FEマウントのレンズの発売を計画していると噂のあったSIGMAから、半ば実験的とも取れる実質的なレンズ提供と言えてしまいそう。 このマウント・アダプターで新規のSIGMAユーザー獲得を期待しているのか、既存のSIGMAユーザーへの救済措置的なことなのか、そのどちらでもないのか、市場的にはどのような役割を果たしてゆくのかは興味をひかれる。
そして、Commlite製の「ENF-E」。 Sony α7シリーズでNikon Gレンズの絞りもAFもボディから制御できるアダプタが登場した。 NikonユーザーにとってはSony α7シリーズの「小型・軽量さ」を手に入れられるメリットがある。
とは言え、心情的には「Nikon好き」がSonyに移行するケースは少ないだろうし、その逆に、ZEISSをライン・アップし他社と一線を画す世界観を展開しているSonyのコンセプトに対して、わざわざNikkorを持ち込む意味もそれほど見いだせない。 価格はAmazonで約4万円。 ちょいと高い。
TECHARTのLM-EA7はちょっと変わり種で、Leica MマウントのレンズをAF化してしまおうというもの。 これも対象ボディはSony α7。 アダプターのレンズ・マウント部分が前後してピントを合わせる「力技」的なアダプタで、かつての「CONTAX AX」を思い出させた。
「CONTAX AX」はフィルム面、つまりカメラ本体の中身をごっそりと前後させてマニュアル・フォーカスのレンズ群をAF化する仕組み。 何とも大胆な発想には愉快さをも覚えてしまう。
ちなみにマウント・アダプタ、型式なのか個体差なのか「はずれ」に当ってしまうと、カメラ本体のバッテリを急速に消費したり、35mmフルサイズ用レンズをAPS-C用と誤認識したり、悪いとフルサイズとAPS-Cの検出を行ったり来たり。 偶発性を楽しむためなら十分「買い」だが、常用にはなかなか「難あり」。
たまたまそうした不具合のあるアダプタに当ってしまったのだが、安価だったこともあり諸々の手続きを思うと販売元に申し出る気力もなく、この分は 「ちゃんとしてそうな」アダプタの購入資金に充てた方がよかったのでは? との思いと共に、まだ手元でくすぶっている。
2008年、M8と一緒に予備として「BATTERY M8 (#14464)」という純正Li-ionバッテリを購入した。 都合2コ。 うち1コは3年ほどで容量抜け。 もう1コは新品に比べ60%程度の「持ち」に劣化はしているものの、8年ほど経った今でも活躍中。
予備のバッテリが無くては困るので、その後3コを購入。 1コは1年ほどで容量抜け、1コは3年弱が経った今で約50%弱の容量、1コは90%以上をキープ。 5コ中まともに動いているのは2コという結果。 発売から随分と月日が流れたが、この「BATTERY M8 #14464」の欠陥めいた状況は改善が見られない。 更に今年は日本全国で概ね品切れ。
「早々に容量抜けしてしまう高価な「BATTERY M8」は何か対応策はないものか? 予備が欲しくても日本ではいま手に入らない状況になっている。 電池がなくてはどうにもならない」とライカにメールを書いてみたところ、日本の販売店に発送しますと返ってきた。
「BATTERY M8」を馴染みの店に注文して2ヶ月以上が経っている。 微妙に急を要しないため、ライカの販売店に行ったり通販の手続きを踏むほど時間は割けず、「今更キャンセルでもないか」と微妙な心持ち。 さて、どうなることやら。
2016年8月までのこの期間、LeicaやHasselbladからの新製品の噂、ソニー「Aシリーズ」終息の噂、ソニーα7シリーズ用のマウント・アダプタの発表と、気になる動きが多かったように思う。
本ページ、偏向気味な個人のメモの寄せ集め。 情報収集に来られた方、..悪しからずですm(_ _)m。
● ● ● ● ● ● ● ● ● B O D Y ● ● ● ● ● ● ● ● ●
この8月、流れてきたのはSony Aシリーズ終焉の話。 Aシリーズは、ミノルタの「αシリーズ」の直系子孫にあたる。 ソニーにカメラの部門が買収された時の社名は「コニカミノルタ」で、旧コニカ、旧ミノルタの多くの技術陣が携わったとされるこのシリーズ、初代の「α100」は、形こそコニカミノルタの「α」そのままだが、性能的には意欲的なスペックだった。Aシリーズは、ライブ・ビュー機能やEVFを採用するなど、現在の「ミラーレス一眼」の要素を早くも2003年頃から搭載してきた。 この流れの進化のように「α7シリーズ」ができ、「やや大型化する」と言われる「α9」が Aシリーズの貫禄を引き継いで旗艦機として次代の「ソニー α」を形成してゆくという流れはアリだと感じる。
「α7 mkIII」と「α9」登場の噂が持ち上がっているソニー。 α7RIIでは昨年2015年に4,000万画素を超え、α9は7,000万画素超えと言われる。 受像センサーはもちろん、シャッター機構の精度の向上など様々な延長上に「α9」が来るわけで、この「集大成」感は是非とも神経を研ぎ澄まして対峙してみたい。
4,000万画素で思い出すのは、2011年に登場したPENTAXの「645D」と2013年登場の同社「645Z」。 名の通り「6x4.5」サイズの中判フィルム・カメラにルーツを持つデジタル・カメラ。 受像センサーはKodak製CCDで、大きなセンサー・サイズと画素数が捉える質感描写は、やはり「中判」ならでは。 645D/Zを手にしたときの感触も、撮影にと向き合う適度な緊張と期待を体内から呼び起こす感じがする。 PENTAX 6x7がそうだったが、ばっちんばっちん攻めこむような心地よさがある。
Hasselbladから中判ミラーレスが発表された。 デザインをはじめ、様々にかつての500/503を意識してそうだが随分と雰囲気は異なる。
Hasselblad X1D and "V-System" 500 Series
2016年5月27日、Leicaからは、なんと背面液晶画面がないデジタル・カメラ「M-D」が発売された。 「typ.262」と呼ばれるこの機種には、「Leica M」という名の背面液晶画面ありのモデルも存在する。
背面液晶画面ナシ。 撮影結果を確認できないという、まるでフィルム・カメラのような在り方で、その方向性、現像するまで仕上がりが分からない緊張感といった写真の楽しみ方に異論はない。 ただ経験上、液晶画面で動作状態が確認できないというのは、Leica製カメラとしては不安が大きい。 シャッターは普通に切れていたがデータは記録されていなかったとか、途中で画像確認できていればこの異変には気づいていたかも、とか。 実はLeicaこそ背面液晶画面が必須だと強く思ってしまう。
Typ.262のサンプルはインターネット上に多々見る事ができる。 総じて「さすがの質感描写」。 前作typ.240の印象と比較すると、ぐっと落ち着いた感がある。
Typ.262は見るからに実にシンプルな機械で、画像も完成度の高さを思う。 一応、typ.262も「LEICA M」という名称であり、性格は違えど typ.240と近い立ち位置にいるのだろう。 そしていま、新たに発表が期待されているのも「LEICA M」という名称であり、ISOダイアルが付くとか、背面液晶画面の大型化などが話題に上がっている。 様々に機能を盛り込んだ typ.240っぽくなるのか、全く別の「線」ができるのか、その落としどころは見どころ。
Leica typ.262 samples by Kasyapa, Photo Yodobashi and Jim Arnold
そして、より興味を惹かれるのが「M-E」の後継機の話。 名称は「M-SかM-E2か」。 何れでもよいがこの機、CCDセンサーを積むという。 実はLeica M typ.240が出たときにC-MOSセンサーになった事を随分と残念に感じてしまった。 もちろんC-MOSになろうが他の方式のセンサーになろうが、ライカらしさを失うことはないだろうし、typ.240は階調表現の滑らかさにその特徴をうまく出しているとは思う。
この「残念感」は、どうやらここ数年使い続けているCCDセンサー機「M8」の心象的な空間描写が、勝手に体に馴染んでしまったことに起因する。
M型初の35mm判フル・サイズ・センサー機となった「M9」の描写はよりクールになり、これまた違った世界観なのだが、この両者に見る「時間感」といった空気の重みを僅かに残す画作りこそ、「CCDセンサー機の特徴」であると同時に「ライカらしさ」だと感じていたようだ。
どちらのセンサーの優劣の話でもなく、次期「M型」にこの選択肢があるのは非常に面白い。
以下の画像は、次期「M-E」とされるもので、湾曲したボディや光沢のある金属のラインなど、これまでの「M」とは少し路線が異なルる印象。
ライカのCCD機、M9、M9-P、M-E、M Monochrome (初代M Monochromeのこと。 二代目のtyp.246はC-MOS) については、2014年12月頃に「センサーのコーティングが変質・剥離し、絞り込むと線が映り込む」、「撮画像に白点が現れる」という現象が確認された。 これが「新世代CCD開発により改善された」と聞いたのが2015年09月。
まずは問題解決の為だったのだろうが、ある意味CCDセンサーの開発を続けているわけで、この「問題解決」を弾みにしてCCD機がこの先も継続的に発表されると期待したい。
Leica M typ.262とM-Eの画像の差異、なかなかに微妙。
以下の"sample photos comparing files from the M-E and M262"には、Typ.262とM-Eとで同じ場所を撮影した画像が挙げられている。 どちらで撮られたかを気にせず、「好み」と感じた方をデジタル現像してみたところ、12シーン中 Typ.262が6枚、M-Eが6枚と、半々という結果だった。
○2016.12.31追記 ---
今月上旬にライカの販売店に立ち寄った。 そこで出たM型ライカの話のなかで、店員さんは「今後CCDセンサーを載せた機種は発売されません。 CCDは色々と不具合がありましたし、Kodakが製造を止めてしまったので作りようがありません」と断言されていた。
そして、「CCDセンサーは在庫が無くなって行きますから、それが終了したら修理は不可能です。 CMOSセンサーに置き換えるサービスなども不可能だと思います。 ですのでM8、M9のお客様には買い替えを勧めています」 ...「はい、電子機器ですから」と。
頑張って「デジタルM」ボディ1台を15年もたせるとして、自分はあと何十何年生きてるだろうか? うち、撮影〜デジタル現像を愉しめるのは何歳までだろうか? では、買い換えるとしたら何歳くらいがよいのか? 限られた懐具合・カメラのライフ・サイクル・自分のライフ・スパンとのご相談。 まさかカメラの購入にここまで考える要素があろうとは...。 この機械、この存在感の大きさは - 良くも悪くも...。
もう1つ。 「Leica T」 (Silver)が製造終了という話。 アルミ塊を削りだして作る贅沢なボディ。 発売当初に「これ、どれくらい作り続けるつもりだろうか?」とふと思ったのを思い出す。 APS-Cサイズのセンサーでレンズ交換が出来る小型軽量なボディ。 そしてシンプルで端麗なデザインには、M型とは違った所有感と撮り歩く楽しさを思う。
B&H Photo-Video Inc. WebSiteより
「T型」もまた新たな展開となるようで、そのデザインと素材がどのようになるのか? また、「コンパクト」カメラの在り方を含め、APS-Cセンサーの小型カメラの地図がどのように描かれるのかが楽しみ。
*Leica Qはフルサイズ・センサー搭載機
● ● ● ● ● ● ● ● ● L E N S ● ● ● ● ● ● ● ● ●
レンズに目を向けてみると、ソニー FEマウント関連では「G」レンズがやや目立ったのではないだろうか。 解像力と、どこかミノルタっぽい柔和なボケ味の同居と、ZEISSとはまた違った持ち味に魅力を感じる。 興味深いのは、ミノルタにはLeicaとの共同開発の経験があるところ。2016年に発売されたFEマウントのレンズは、Sony-ZEISS Diatagon 1.4/35、Sony-ZEISS Distagon 1.4/50、ZEISS Batis 2.8/18、Sony 24-70 F2.8 GM、Sony 70-300/4.5-5.6 G、Sony 50/1.8、Sony 85/1.4 GM、Sony 50/2.8 Macro... と、なかなかの豪華さ。 今後はコンパクトなレンズの発表にも期待したい。
また近く、Loxia 85mm、Batis 60mm Macroなど、合計5~6本が発表されるという噂もある。
さて少しライカのレンズにも触れてみると、SUMMICRON-M f2/35mm、SUMMICRON-M f2/28mm、ELMARIT-M f2.8/28mmが2016年03月にリニューアルされた。 この9月にはSUMMARON 28mm f5.6が発表されるとの噂がある。
先の3機種はフードの変更があり、'Cron 35mmは絞り羽根の変更、'Cron 28mmとELMARIT 28mmは歪曲収差の補正が成されたと言われる。 昨年リニューアルされたSUMMARIT-Mも、実はタル型収差の改善があった。 また、以前のELMARIT-M f2.8/28mm ASPH.には、Olympus E-M1やSony α7Sでフリンジが強く出た経験があり、実はこうした収差も改善対象だったのではないだろうか。
総体的に完成度の高いLeicaのレンズではあるが、更に次代へ馴染ませるための改変が進められているのだろう。
ちなみに、2010年頃の展示会でZMレンズについてコシナの方に質問したなかに、「(ZMシリーズの某レンズについて)再設計するつもりはない」と返答を頂いたことがある。 ZEISS(ソニー製ZEISSは含まない)という光学設計の哲学者(社)は、レンズ1機種1機種を「結論」として世に送り出すような傾向があり、その返答には一応「なるほど」。 既存レンズの「改変」よりはむしろ「新シリーズ」で応えるのが、特にここ10年ほどの流れと言える。
若干気になっているのは、この先、ZMシリーズに新たに大きな動きはあるのだろうかというあたり。
大雑把な感想だが、ZEISSのレンズは斬新さと正統性から来る「艶」、LEICAのレンズは正確さと確実性から「端正」という印象を持つ。 またある意味、ユーザーに対して前者は「提案型」、後者は「結論型」の完成度を思う。 ZEISSとLeicaのレンズは、開発者の目線とユーザーとの対峙目線とがちょうど対称的な図式と見えなくもない。
この両者、昨年頃からレンズのリニューアルがちらほら。 ZEISSでは"Classic"から"Milvus"への移行、Loxiaのこだわり、Batisの冒険があり、LEICAではSUMMICRON-M 35mmといった代表格の改変があった。 そうした今年、これまで好まれてきた「レンズの味」といった感覚は、よりシビアに歪のない「端正」な方向へとシフトしているのではないだろうか。
こうした改変は、単に高画素化するカメラへの対応というだけではないように感じる。 Leicaの「M型デジタル」発売から10年目の今年、歪みなく高精度な写真の世界が大きく歩を進めつつあるようで、気が早い話だが「写真世界の哲学」の、次の10年への思いを馳せる。 例えばLEICAには「LEICA色」を感じるが、画作りに一貫性を感じないメーカーもある。 気がつけば近年、多くのカメラ・メーカーで「フィルムの色」を必ずしも基準と考えていないように見え、自由に基準を動かせるデジタル故、次の10年では「基準の完成度」を、ボディ・レンズ共により問われそう。
Leica WebSiteより
● ● ● ● ● ● ● ● ● MOUNT ADAPTER ● ● ● ● ● ● ● ● ●
マウント・アダプタも気になる製品が幾つか見られ、目立たないながら面白い存在がSIGMAの「MC-11」。 Sony α7シリーズのボディに対し、SIGMAマウントのレンズ用とCanon EFマウントのレンズ用の2種類が登場した。 Sony FEマウントのレンズの発売を計画していると噂のあったSIGMAから、半ば実験的とも取れる実質的なレンズ提供と言えてしまいそう。 このマウント・アダプターで新規のSIGMAユーザー獲得を期待しているのか、既存のSIGMAユーザーへの救済措置的なことなのか、そのどちらでもないのか、市場的にはどのような役割を果たしてゆくのかは興味をひかれる。
そして、Commlite製の「ENF-E」。 Sony α7シリーズでNikon Gレンズの絞りもAFもボディから制御できるアダプタが登場した。 NikonユーザーにとってはSony α7シリーズの「小型・軽量さ」を手に入れられるメリットがある。
とは言え、心情的には「Nikon好き」がSonyに移行するケースは少ないだろうし、その逆に、ZEISSをライン・アップし他社と一線を画す世界観を展開しているSonyのコンセプトに対して、わざわざNikkorを持ち込む意味もそれほど見いだせない。 価格はAmazonで約4万円。 ちょいと高い。
TECHARTのLM-EA7はちょっと変わり種で、Leica MマウントのレンズをAF化してしまおうというもの。 これも対象ボディはSony α7。 アダプターのレンズ・マウント部分が前後してピントを合わせる「力技」的なアダプタで、かつての「CONTAX AX」を思い出させた。
「CONTAX AX」はフィルム面、つまりカメラ本体の中身をごっそりと前後させてマニュアル・フォーカスのレンズ群をAF化する仕組み。 何とも大胆な発想には愉快さをも覚えてしまう。
ちなみにマウント・アダプタ、型式なのか個体差なのか「はずれ」に当ってしまうと、カメラ本体のバッテリを急速に消費したり、35mmフルサイズ用レンズをAPS-C用と誤認識したり、悪いとフルサイズとAPS-Cの検出を行ったり来たり。 偶発性を楽しむためなら十分「買い」だが、常用にはなかなか「難あり」。
たまたまそうした不具合のあるアダプタに当ってしまったのだが、安価だったこともあり諸々の手続きを思うと販売元に申し出る気力もなく、この分は 「ちゃんとしてそうな」アダプタの購入資金に充てた方がよかったのでは? との思いと共に、まだ手元でくすぶっている。
● ● ● ● ● ● ● ● ● OTHERS ● ● ● ● ● ● ● ● ●
ここ数年で不安が増していることがある。 それは、Leica M8用バッテリの性能と供給状況。2008年、M8と一緒に予備として「BATTERY M8 (#14464)」という純正Li-ionバッテリを購入した。 都合2コ。 うち1コは3年ほどで容量抜け。 もう1コは新品に比べ60%程度の「持ち」に劣化はしているものの、8年ほど経った今でも活躍中。
予備のバッテリが無くては困るので、その後3コを購入。 1コは1年ほどで容量抜け、1コは3年弱が経った今で約50%弱の容量、1コは90%以上をキープ。 5コ中まともに動いているのは2コという結果。 発売から随分と月日が流れたが、この「BATTERY M8 #14464」の欠陥めいた状況は改善が見られない。 更に今年は日本全国で概ね品切れ。
「早々に容量抜けしてしまう高価な「BATTERY M8」は何か対応策はないものか? 予備が欲しくても日本ではいま手に入らない状況になっている。 電池がなくてはどうにもならない」とライカにメールを書いてみたところ、日本の販売店に発送しますと返ってきた。
「BATTERY M8」を馴染みの店に注文して2ヶ月以上が経っている。 微妙に急を要しないため、ライカの販売店に行ったり通販の手続きを踏むほど時間は割けず、「今更キャンセルでもないか」と微妙な心持ち。 さて、どうなることやら。
ラベル:
Carl Zeiss,
Contax,
Leica,
M8,
Photography,
Sony
2016-08-22
2016-08-16
2016-07-20
雑感 ~ α7RII、オールド・レンズ、α7S
最近になって知ってしまった。 ソニーのα7RIIが、「オールド・レンズ」(ここでは後玉が突出傾の設計のレンズの意)に強いという話。 α7RIIの発表は2015年6月26日、発売は同年8月7日だったので、実に遅い気づき。
オールド・レンズ・ファンというわけではないが、手元にあるレンジ・ファインダー機用の広角レンズが周辺の偏色なくほぼ普通に使えると訊き、にわかに興味が湧いてきた。
α7RIIは、35mm判フルサイズで4,240万画素という高密度なセンサーを積んでいる。
この前身であるα7Rが、3,640万画素センサーを積んで世に出た2013年、「なるほどキレイだけど、これだけの高画素は要らない」と思った。 が、その画のリアルさ、「要らない」と言いつつ捨てがたく、一方で広大なダイナミック・レンジを誇るが僅かに物足りない1,220万画素のα7Sの存在もあり、この微妙なアンバランスさは大いに困惑した。
3,640万画素とは、当時の他社のカメラから比較するとほぼ倍の画素数であり、生成されるファイル・サイズはかなり大きなことは想像に難くない。 高画素ゆえの、シャッターの先幕機構ゆえの手ブレ・機構ブレも心配だった。 結局は、小さく軽い35mm判センサー・カメラに機動性を期待したいところを、三脚を据えてMamiya RZ、RBを持ち出す気分を思い起こさせ敬遠したのだった。
2代目のα7RIIとなって手ぶれ補正機構を積みシャッターも改善。 更に新センサーで「オールド・レンズ」にも強いという、不安解消どころか朗報付きで、「身近な高画素カメラ」へと変化していた。
レンズ事情を見てみると、この1〜2年で各社のレンズの性能が格段に上がって見える。 ただ、せっかく機動性の高い小型軽量なα7シリーズのボディに対し、発表されるのは見るからに重そうなレンズが次々と。 そしてどれもが懐加減にも重い。 それでも高性能なレンズが現れる度にその緻密な画作りに気持ちは踊り、思うのは --- 「α7R/α7RIIのコンセプト、なるほどド真ん中。」
ソニーのFEレンズも、50mm F1.7や、ZEISS 1.4/50mm ZA、24-70mm F2.8 G Master、85mm F1.4 G Master。 他社からはLoxia 2.8/21mmなど新たな充実も。 欲を言えばレンズはもうふた声は小型化を望みたい。 ライカのレンズが小さく高画質なのを思うと、高解像度・低収差のため必ずしも前玉を大きく取る必要には疑問が残る。 ただ、小型化ゆえに価格がトテツもなく嵩むとしたら、それはちょっと...。
こうしたレンズの進化のなかにあってα7RIIは、今の世にあっては収差の大きい「オールド・レンズ」をまんま楽しめるボディであり、新世代の高精細なレンズ描写を、やはりまんま楽しめるボディでもある。 時代を繋ぐようなポジショニングの面白さを思う。
と言いつつ昨年、手に入れたのはα7S。 ダイナミック・レンジへの興味と、「オールド・レンズ」に向いているという話に期待してのこと。 当時、α7SIIの発売に期待を寄せていたが、サブ・カメラとして考えていたこともあり、その価格故にα7Sに落ち着いた。 α7RIIは、α7Rがあまりに「オールド・レンズ」に不向きだったため視野に入っていなかった。 結局のところ、α7Sは言うほど「オールド・レンズ」に強いわけではなく、それで今更のようにα7RIIが気になったのだが、α7RIIの画力(エヂカラ)がライカのそれを超えるでもなく、今はまだ、α7Sの広ダイナミック・レンジな存在感が頼もしい。
さて高画素と高感度。 この2つの機種が「mk III」となるとき、元々が異なる性質でありながら、その性能はオーバー・ラップや凌駕してしまう部分も出てくるだろう。 それぞれどのような味付け・方向付けになるのかが実に楽しみ。
雑感の雑感 --- α7RIIの価格を思うと、最近やや出番が減り、シャッター・ユニットが僅か35,000ショットほどで壊れ、世の販売店からバッテリーが軒並み在庫切れな不安なLeica M8が、いよいよ修復不能となった日のため「Leica M型資金」を貯めておくという選択肢が意外に現実的かもと思う今日このごろ。
オールド・レンズ・ファンというわけではないが、手元にあるレンジ・ファインダー機用の広角レンズが周辺の偏色なくほぼ普通に使えると訊き、にわかに興味が湧いてきた。
CAMERA fanに掲載されていた、α7R(左)とα7RII(右)の比較サンプル。レンズはBiogon 2.8/21mm ZMとG-Biogon 2.8/21mm。
α7RIIは、35mm判フルサイズで4,240万画素という高密度なセンサーを積んでいる。
この前身であるα7Rが、3,640万画素センサーを積んで世に出た2013年、「なるほどキレイだけど、これだけの高画素は要らない」と思った。 が、その画のリアルさ、「要らない」と言いつつ捨てがたく、一方で広大なダイナミック・レンジを誇るが僅かに物足りない1,220万画素のα7Sの存在もあり、この微妙なアンバランスさは大いに困惑した。
3,640万画素とは、当時の他社のカメラから比較するとほぼ倍の画素数であり、生成されるファイル・サイズはかなり大きなことは想像に難くない。 高画素ゆえの、シャッターの先幕機構ゆえの手ブレ・機構ブレも心配だった。 結局は、小さく軽い35mm判センサー・カメラに機動性を期待したいところを、三脚を据えてMamiya RZ、RBを持ち出す気分を思い起こさせ敬遠したのだった。
2代目のα7RIIとなって手ぶれ補正機構を積みシャッターも改善。 更に新センサーで「オールド・レンズ」にも強いという、不安解消どころか朗報付きで、「身近な高画素カメラ」へと変化していた。
Steve Huff Photo、dppreview、ePhotozineに掲載されたα7RIIによるサンプル。
レンズ事情を見てみると、この1〜2年で各社のレンズの性能が格段に上がって見える。 ただ、せっかく機動性の高い小型軽量なα7シリーズのボディに対し、発表されるのは見るからに重そうなレンズが次々と。 そしてどれもが懐加減にも重い。 それでも高性能なレンズが現れる度にその緻密な画作りに気持ちは踊り、思うのは --- 「α7R/α7RIIのコンセプト、なるほどド真ん中。」
ソニーのFEレンズも、50mm F1.7や、ZEISS 1.4/50mm ZA、24-70mm F2.8 G Master、85mm F1.4 G Master。 他社からはLoxia 2.8/21mmなど新たな充実も。 欲を言えばレンズはもうふた声は小型化を望みたい。 ライカのレンズが小さく高画質なのを思うと、高解像度・低収差のため必ずしも前玉を大きく取る必要には疑問が残る。 ただ、小型化ゆえに価格がトテツもなく嵩むとしたら、それはちょっと...。
こうしたレンズの進化のなかにあってα7RIIは、今の世にあっては収差の大きい「オールド・レンズ」をまんま楽しめるボディであり、新世代の高精細なレンズ描写を、やはりまんま楽しめるボディでもある。 時代を繋ぐようなポジショニングの面白さを思う。
と言いつつ昨年、手に入れたのはα7S。 ダイナミック・レンジへの興味と、「オールド・レンズ」に向いているという話に期待してのこと。 当時、α7SIIの発売に期待を寄せていたが、サブ・カメラとして考えていたこともあり、その価格故にα7Sに落ち着いた。 α7RIIは、α7Rがあまりに「オールド・レンズ」に不向きだったため視野に入っていなかった。 結局のところ、α7Sは言うほど「オールド・レンズ」に強いわけではなく、それで今更のようにα7RIIが気になったのだが、α7RIIの画力(エヂカラ)がライカのそれを超えるでもなく、今はまだ、α7Sの広ダイナミック・レンジな存在感が頼もしい。
さて高画素と高感度。 この2つの機種が「mk III」となるとき、元々が異なる性質でありながら、その性能はオーバー・ラップや凌駕してしまう部分も出てくるだろう。 それぞれどのような味付け・方向付けになるのかが実に楽しみ。
Steve Huff Photoより、α7RII(左)とα7S(右)の比較サンプル。ISO6400、12800、25600、64000、102400。
雑感の雑感 --- α7RIIの価格を思うと、最近やや出番が減り、シャッター・ユニットが僅か35,000ショットほどで壊れ、世の販売店からバッテリーが軒並み在庫切れな不安なLeica M8が、いよいよ修復不能となった日のため「Leica M型資金」を貯めておくという選択肢が意外に現実的かもと思う今日このごろ。
ラベル:
Leica,
Photography,
Sony,
SonyA7s
2016-06-26
2016-05-11
2016-04-17
2016-03-25
雑感 ~ 21mmと50mm
2013年〜2015年の3年間、日記のように毎日1枚の写真を残した。 この間で何か「テーマ」が見つかるでもなく、結果として「撮りたいもの」が旧来と変わるでもなかったが、なんとなく「そっか」と思うものは幾つか残った。
毎日撮るとなると「こう撮ってみたい」という興味や「何だこれ!?」という発見、そしていつでも撮れるよう心の準備と、ある種の緊張感がいつもある。 また、当初の機材はLeica M8の1台だったが、やがてOlympus E-M1やSony A7sを入手。 レンズもまた、この期間に5本を手離し、新たに5本を入手と、色々と試した時でもあった。
使うレンズの焦点距離は、M8ではしばしば35mmに回帰した。 35mm判換算で約45mmとなりこれがなかなか心地よい。50mmレンズは35mm判換算で66.5mmと、これを「長く」感じて躊躇することもあり出番は少なかった。
A7sを手にすると少し感覚が変わり、f=35mmでは広く感じ、f=50mmがしっくり来た。 M8ではf=21mmは35mm判で28mm相当、f=15mmで21mm相当だった広角は、まんま「21mm」・「15mm」となり、あらためて広い視野を愉しんだ。
Carl Zeissから「Loxia」・「Milvus」など新しいシリーズが発表され、デジタル・カメラの受像素子に最適化された新世代レンズに、「この『写り』がデジタル時代の画ってことなんだろうな」という感触を持った。 手元のレンズは「だいたい充実したなぁ」と感じていたが、そうした描写を目にすると新たな期待も顔をのぞかせる。
21mm - は、ずいぶん前から興味はあったのだが、実際にその面白さを体験したのは一昨年2014年のこと。
M8では、35mm判換算で28mm相当であることを考えるとそれほど特殊な世界ではない。 なのでそのまま「21mm」を楽しんだというよりは、手にした「21mm」の描写が面白く、それを楽しんだという事になるだろうか。
この「21mm」という焦点距離の世界はなかなか面白い。 そして「35mm判フル・サイズ・センサー」機を手にして、あらためて身近に感じた「50mm」と、最近この2つの焦点距離に興味津々。
ちなみに... 「Loxia」と連発しつつ、いま「50mm」で興味があるのはCarl Zeiss T* C-Sonnar F1.5/50mm。
毎日撮るとなると「こう撮ってみたい」という興味や「何だこれ!?」という発見、そしていつでも撮れるよう心の準備と、ある種の緊張感がいつもある。 また、当初の機材はLeica M8の1台だったが、やがてOlympus E-M1やSony A7sを入手。 レンズもまた、この期間に5本を手離し、新たに5本を入手と、色々と試した時でもあった。
使うレンズの焦点距離は、M8ではしばしば35mmに回帰した。 35mm判換算で約45mmとなりこれがなかなか心地よい。50mmレンズは35mm判換算で66.5mmと、これを「長く」感じて躊躇することもあり出番は少なかった。
A7sを手にすると少し感覚が変わり、f=35mmでは広く感じ、f=50mmがしっくり来た。 M8ではf=21mmは35mm判で28mm相当、f=15mmで21mm相当だった広角は、まんま「21mm」・「15mm」となり、あらためて広い視野を愉しんだ。
Carl Zeissから「Loxia」・「Milvus」など新しいシリーズが発表され、デジタル・カメラの受像素子に最適化された新世代レンズに、「この『写り』がデジタル時代の画ってことなんだろうな」という感触を持った。 手元のレンズは「だいたい充実したなぁ」と感じていたが、そうした描写を目にすると新たな期待も顔をのぞかせる。
Loxia21: Samples by Jannik Peters on Phillipreeve.net (below)
http://phillipreeve.net/blog/rolling-review-zeiss-loxia-distagon-2-821mm-t/
Loxia21: Samples by 'Kashapa' from Map Camera
http://news.mapcamera.com/KASYAPA.php?itemid=29238
発表当初はあまり興味のなかった「Loxia」も、様々ウェブ・サイトに見る「Loxia 21mm」のレビュー記事から「何の濁りも感じない」完成度の高さに印象が変わった。 「Loxia」が登場した頃、Sony A7シリーズに最適化されたという「Loxia 50mm」の画像は、色味が薄く、柔らかいというよりコントラストの低い画に見え「馴染めないな」と思った。 対して「Loxia 35mm」は旧来のCarl Zeissに近い発色から「面白そうだ」と感じ興味をひかれていたが、それらが「Loxia 21mm」の登場で少し変化し「Loxia 50mm」の存在に目が向いた。 それはおそらく、「Loxia 21mm」と「Loxia 50mm」に「デジタル向けZEISS」として完成度を追求した共通点を愉しんでみようという好奇心。http://phillipreeve.net/blog/rolling-review-zeiss-loxia-distagon-2-821mm-t/
Loxia21: Samples by 'Kashapa' from Map Camera
http://news.mapcamera.com/KASYAPA.php?itemid=29238
21mm - は、ずいぶん前から興味はあったのだが、実際にその面白さを体験したのは一昨年2014年のこと。
M8では、35mm判換算で28mm相当であることを考えるとそれほど特殊な世界ではない。 なのでそのまま「21mm」を楽しんだというよりは、手にした「21mm」の描写が面白く、それを楽しんだという事になるだろうか。
Voigtlander Ultron 21: Samples by Jason Howe and Steve Huff on Steve Huff Photo
http://www.stevehuffphoto.com/
Voigtlander Ultron 21: Samples by Takuji Ono
その「21mm」はVoigtlander Ultron 21mm F1.8。 ぐっと強いコントラストを描きつつも画面全体には独特の柔らかさを持ち、開放F1.8という被写界深度の浅さも手伝っての空間描写が特異。http://www.stevehuffphoto.com/
Voigtlander Ultron 21: Samples by Takuji Ono
Voigtlander Ultron 21/1.8 on Sony A7s - 補正なし/補正あり
ただ「Ultron 21mm」は、オールド・レンズに強いと言われるSony A7sでもシアン被りや光量落ちが見られる。 「カメラ・アプリ」でそこそこ補正できるが、ここは期待と少し違ったところ。 やや手のかかる感のある「21mm」ではあるが、「f=21mm」への「入口」としては良い選択だった。この「21mm」という焦点距離の世界はなかなか面白い。 そして「35mm判フル・サイズ・センサー」機を手にして、あらためて身近に感じた「50mm」と、最近この2つの焦点距離に興味津々。
ちなみに... 「Loxia」と連発しつつ、いま「50mm」で興味があるのはCarl Zeiss T* C-Sonnar F1.5/50mm。
ラベル:
Carl Zeiss,
Leica,
M8,
Photography,
Sony,
SonyA7s,
voigtlander21F1.8
2016-02-29
雑感 ~ フジ FP-100C
FP-100 - カラー、白黒、カラーの4x5サイズとがあり、その昔、営業写真館にいた頃はこれで証明写真を撮ったり記念写真の露出の確認をした。 フジのインスタント・フィルムの総称は多分「フォトラマ」。 大体はMamiya RZに「ポラ・バック」を付けて使った。 「バック」は多分カメラのフィルム面、つまり背面に取り付けるから「バック」なのだろうと勝手に思っていて、「ポラ」は「ポラロイド」から来ているのだろう。 富士フィルム製なので名称に「ポラ」は無いだろうが商品名は失念。 フィルムもフジ製なのに、みんな「ポラ引いとこうか」と言っていたような...。 インスタント・フィルムのパイオニアであるポラロイド、この浸透具合はさすが。
「バック」にフィルムを装填し、ブローニーやシノゴのカメラに取り付け撮影。 カートリッジからピラっと出ている紙片を真横に引っ張り「フィルム」を取り出す。 その過程で「バック」内にある2つの金属ローラーでフィルムに仕込まれた薬品が押し出されて均一に印画面に広がる。 あとは約1分で現像が完了し、遮光紙を剥がせば印画面の画が出てくる。
一見単純なものなのだが、以前見学した富士フィルム・足柄サイトにあるインスタント・フィルム「チェキ」の製造工場では、なんと10数層の薬剤を一度に樹脂のベースに塗布していた。 一層ずつ塗るのではない。 「チェキ」と「FP-100」が同様の工程なのかはわからないが、そこでは、例えば13層なら13コのノズルから同時に出てくる全ての薬液が粘度調整され、お互いが混じる事なく層を成したまま最終的にはミクロン単位の薄さに伸びながら、流れるように「ベース・フィルム」上に一体化して行くラインが稼働していた。
この製造技、製品の撮影感度の安定、色再現性、耐光性と、今でもそれらは驚きの領域であり、その技術が幕を降ろしてしまうのは何とも残念。 時折、Mamiya RZやFUJIFILM GX680などでこれを使う手の感触を思い出す。
富士フイルム株式会社(社長: 中嶋 成博)は、インスタントカラーフィルム「FP-100C」を、当社の在庫がなくなり次第販売終了いたします。
富士フイルムは、インスタントカラーフィルム「FP-100C」の提供を継続するため、これまで企業努力を続けてまいりましたが、販売数量が年々大幅に減少しており、これ以上の生産ができない状況です。このため、やむを得ず下記のとおり販売終了させていただきます。
今回インスタントカラーフィルム「FP-100C」の販売は終了いたしますが、富士フイルムは今後も製品ラインアップの見直しや生産効率化を行いながら継続して写真フィルムをご利用いただける体制づくりを進めてまいります。
今後とも富士フイルム製品に変わらぬご支援、ご愛顧を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
このフィルム、色再現性が高いながら独特の発色をする。 並んでゆく試し撮りに、「いいね、これ!」となる場面も時々あるくらい。
ここ数年は多くのフィルムが市場から姿を消してしまい、KodakのKodachrome、Ektachrome、Technical Pan、Recording Film、Ektar 125など、つい懐古的な心持ちを思い起こす銘柄も多々。
FP-100はと言えば、何度も試し撮りができるデジタル時代の今では有用性は薄れ、さすがに普通のフィルムほどの保存性はないだろう「いつか消えてしまいそうな画」には永年性を期待するでもない。 需要からすれば、もうとっくに製造が終わっていても不思議ではないと思える。 それが映画フィルムよりも、幾つかのプロ用写真フィルムよりも長く作られていたのはちょっとした驚きでもあった。
「露出や構図のアタリを見たい」ためなら、デジタル撮影に見る「NGコマは消してしまえばいい」という手軽さに類する性質はあるが、「インスタント・フィルム」というのはまた特異な存在で、実はその1枚1枚には、例えばフィルム撮影に入る直前の、その緊張感を写しとめる特別な時間の流れがある。 こうした「時間の流れ」・「期待と緊張」・「即結果」・「特異な色調」から来る写真観は、今あらためて唯一無二の面白さではないかと感じる。
Polaroid 195 & Fuji FP100C by Adam Laws on Steve Huff Photo (Mar. 18, 2016)
Adam Laws.com
http://www.adamlaws.com/
「バック」にフィルムを装填し、ブローニーやシノゴのカメラに取り付け撮影。 カートリッジからピラっと出ている紙片を真横に引っ張り「フィルム」を取り出す。 その過程で「バック」内にある2つの金属ローラーでフィルムに仕込まれた薬品が押し出されて均一に印画面に広がる。 あとは約1分で現像が完了し、遮光紙を剥がせば印画面の画が出てくる。
一見単純なものなのだが、以前見学した富士フィルム・足柄サイトにあるインスタント・フィルム「チェキ」の製造工場では、なんと10数層の薬剤を一度に樹脂のベースに塗布していた。 一層ずつ塗るのではない。 「チェキ」と「FP-100」が同様の工程なのかはわからないが、そこでは、例えば13層なら13コのノズルから同時に出てくる全ての薬液が粘度調整され、お互いが混じる事なく層を成したまま最終的にはミクロン単位の薄さに伸びながら、流れるように「ベース・フィルム」上に一体化して行くラインが稼働していた。
この製造技、製品の撮影感度の安定、色再現性、耐光性と、今でもそれらは驚きの領域であり、その技術が幕を降ろしてしまうのは何とも残念。 時折、Mamiya RZやFUJIFILM GX680などでこれを使う手の感触を思い出す。
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インスタントカラーフィルム「FP-100C」販売終了のお知らせ
2016年2月29日
富士フイルム株式会社
富士フイルム株式会社(社長: 中嶋 成博)は、インスタントカラーフィルム「FP-100C」を、当社の在庫がなくなり次第販売終了いたします。
富士フイルムは、インスタントカラーフィルム「FP-100C」の提供を継続するため、これまで企業努力を続けてまいりましたが、販売数量が年々大幅に減少しており、これ以上の生産ができない状況です。このため、やむを得ず下記のとおり販売終了させていただきます。
今回インスタントカラーフィルム「FP-100C」の販売は終了いたしますが、富士フイルムは今後も製品ラインアップの見直しや生産効率化を行いながら継続して写真フィルムをご利用いただける体制づくりを進めてまいります。
今後とも富士フイルム製品に変わらぬご支援、ご愛顧を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
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このフィルム、色再現性が高いながら独特の発色をする。 並んでゆく試し撮りに、「いいね、これ!」となる場面も時々あるくらい。
ここ数年は多くのフィルムが市場から姿を消してしまい、KodakのKodachrome、Ektachrome、Technical Pan、Recording Film、Ektar 125など、つい懐古的な心持ちを思い起こす銘柄も多々。
FP-100はと言えば、何度も試し撮りができるデジタル時代の今では有用性は薄れ、さすがに普通のフィルムほどの保存性はないだろう「いつか消えてしまいそうな画」には永年性を期待するでもない。 需要からすれば、もうとっくに製造が終わっていても不思議ではないと思える。 それが映画フィルムよりも、幾つかのプロ用写真フィルムよりも長く作られていたのはちょっとした驚きでもあった。
「露出や構図のアタリを見たい」ためなら、デジタル撮影に見る「NGコマは消してしまえばいい」という手軽さに類する性質はあるが、「インスタント・フィルム」というのはまた特異な存在で、実はその1枚1枚には、例えばフィルム撮影に入る直前の、その緊張感を写しとめる特別な時間の流れがある。 こうした「時間の流れ」・「期待と緊張」・「即結果」・「特異な色調」から来る写真観は、今あらためて唯一無二の面白さではないかと感じる。
Polaroid 195 & Fuji FP100C by Adam Laws on Steve Huff Photo (Mar. 18, 2016)
Adam Laws.com
http://www.adamlaws.com/
2016-02-25
2016-02-19
2016-02-18
2016-02-17
2016-02-16
2016-01-06
電球
Carl Zeiss Vario-Sonnar F3.3-4.0/28-85mm on Sony A7s
「新橋駅前ビル」の地下で見かけた電球。 新橋というと「ニュー 新橋ビル」を思い浮かべるが、「ニュー」なのは、「新橋駅前ビル」が先にあったため? 「ニュー 新橋ビル」には「東京囲碁会館」や喫茶「カトレア」など、建物の古さ感と、その建物と共に時間を過ごしてきた街と人の日常感といった営みを見る思いがする。 「新橋駅前ビル」は、これまでも「ゆりかもめ」に乗る際には目にしているはずなのだが、その存在に気づいたのはつい最近。 同じく駅前なのだがひっそりと佇み、通りに面して「ポンヌフ」や「小川軒」といった喫茶室が目に入り、建物に入ると立ち喰いソバのお店や、地下には呑み屋や「市松」などのうなぎ屋などが並び、写真の「電球」は、餃子・パクチー・サラダを出すという「マチカドバル」の店頭に。 お願いして撮らせて頂いたもの。
「電球」の醸す雰囲気はなかなか乙なものだと思うのだが、2020年には日本では「蛍光灯・白熱球は製造禁止とし全LED化する」のだという。 LEDは東芝のTLR103やTLG102の頃から好きな部品ではあるが、「全LED」化とは何とも寂しい気がする。
基本的に特定の波長に「ピッ」と立ち上がるLEDの発光の特性から、一昔前によく聞いた -「ハンバーガーばかり食べてると味覚音痴になるよ」の話に似て、目が、広い波長を連続的に識別できない人が増えるのではないかなどと考えてしまう。 主だった波長を識別できれば日常生活には支障はないとは思うが、消費電力にしても蛍光灯と大差ないように思うし、「そこまで...」という感じ。 ただ、LEDの方が低発熱なため空調の消費電力抑制などの効果は大きいようだ。
白熱球・蛍光灯・LEDと三者三様に適材適所という話ならしっくり来る。 随分と思い切った「LED化」だが、これで誰が得するのだろう? つい要らぬ勘ぐり。 電力といえば、国が補助金を投入して推進した一般家庭での太陽光発電と売電。 多くの「太陽光発電システム」は案外と発電効率は低く、かつ「システム」の蓄電能力の弱さから停電に強いわけでもなく、発電する戸が増えるほど電力会社供給の電気の消費量は減る上、電力会社が余剰発電分を買い取るこの仕組み、廻り廻って稼ぎの減る電力会社が電気料金の値上げを行うという悪循環。 「地球温暖化説」が政治的な都合から出たウソという話もあり、純粋に「科学」や「環境」ではなく、偏った利害関係を垣間見る思いもする。 近年この手のことが多いなぁと感じる今日このごろ。
さて戻って「新橋駅前ビル」 - 気になるもう一軒は、前に「牛すじ」と書かれた看板を同じく地下の入り組んだところに見たのだが、それ以後なぜか辿りつず...。 次はいつ行ってみようか。
2016-01-05
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