2014-08-16

雑感 ~ OEM


   思っていたよりもカメラの交換レンズの世界ではOEMが当たり前のようで、ネット上には関連情報がたくさん上がっていた。
   かつてはソニーの"Handycam"が、"SONY"ブランドではタムロン製レンズ、"FUJICA"ブランドではフジノンが搭載され、その画質の差からフジ製カメラを薦める売り口上が聞かれたり、シグマがライカRボディー向けにズーム・レンズ1種を供給していたりという話がポツリポツリあった。そして近年では遥かにこうした協業的な動きが盛んなようだ。
   ソニーの一眼レフ用のレンズなどは、てっきりかつてのミノルタの技術陣がフルに腕を振るっていると思いきや、その流れを汲むレンズも多く存在するようだがタムロンからのOEM供給も少なくないそうだ。 ただしCarl Zeissに関しては、ソニーによる自社設計・自社生産との事で、これは展示会でのソニーのスタッフの言からもそのように取れた。
   ペンタックスへはトキナーから多くが供給され、中にはキヤノン・ニコンへもタムロンから供給があるという情報もあった。

   面白いながら微妙な心持ちだったのが、京セラからツァイスとライカへのレンズ供給があるという話。 京セラは、その前身である富岡光学の技術力を得、かつてCONTAXブランドのCarl Zeissを製造していたわけで、この話通りならば、その「ツァイスならでは」という独特の描写を持つ血統にライカのレンズが同居しているという事になる。
   数値的には両者の特性を作り分ける力は十分にあるメーカーだとは思うが、メーカーなりの味というのはどこかに現われる。 そのあたりが... どんな「らしさ」になって顕われてくるのだろうか。
   更に微妙だったのが、ライカのMマウント・レンズで"ASPH."表記のものはシグマ製だという話。 念のため、これらの話はインターネット上の情報によるもので、メーカーからの確証があるわけではない。 が、気になっていた事とこれが僅かに合致する。

   どうもライカのElmarit-M 28mm F2.8 Asph.の画質がしっくり来ない。 「現代レンズだからかな」「これはこれで受け入れないとかな」と思いながら使っているのだが、これまで使ったレンズのなかに、似た描写が思い当たる。 それはシグマのズーム・レンズで、個人的な意識としては同じ傾向を示さないハズのこの両者が似た画を導き出す事に違和感を感じている。
   とはいえこのElmarit、レンズとしては段々に手に馴染み、目に馴染み、抜けもよくシャープで、白飛び・黒つぶれしにくく「ライカらしい」精度と描写が楽しめるのは事実で使用する頻度は高め。 (下の写真はElmarit-M 28mm F2.8 Asph.にて)


   違和感というのは、シグマのズーム・レンズに感じる、どことなく塩ビのマット越しに見ているような、僅かに効いている透明感とプラスチック風な描写をこのElmaritに感じる点。 もうすこし重厚であり、色の情報量ももうちょっと多めというのがライカのレンズの印象である。
   色のりというところでは、Summicron 50mm F2 あたりもさっぱりして見える。描写も極めて素直。 「ライカらしさ」は、やはり場の空気感の表現で、その画の情報量はかなり豊富。 これもまた新設計の現代レンズ。
   つい「対して」と言いたくなるのが、この1世代前の1979年頃のSummicron 50mm F2。 比較的色のりよく、程よいヌケ、質感描写も落ち着いた陰影も好印象、空気の湿り気や温度まで写りそうな表現力。 そして逆の事を言うようだが「さっぱり」した絵柄の描写にも好感が持てる。「ライカの画」としてイメージするのは、どちらかというとこの傾向。

   この違和感、近年のツァイス・レンズも同様である。 複数のメーカーで製造され、ツァイスの目に叶った製品群。 レンズの構成 - PlanarやSonnarという名称ごとに個性があるのはよしとして、そこには更に製造する各社なりの特徴も加味されてしまう。 もちろんそれが良い方向に効いているレンズは多く、面白みを足しているのも確か。 例えば、ソニー製のPlanar 1.4/50とコシナ製のPlanar 1.4/50を比較してどうのという世界。
   そうした、ソニーとコシナという2社の「ツアイス」を「現行レンズ」として意識していた頃はそれでよかったが、更に他社製の「ツアイス」や各社のOEMの噂を耳にするにつれ、何となくではあるが「ツアイス」と言えどその像がぼやけて見えてきている。
   その意味では、最近見たなかで「これはツァイスらしいなぁ」と感じたのは、とあるメーカー・デモで遭遇した、ARRIのALEXAに付けらていたPrimeくらい。

   「味」だ何だという話と並んでよく聞くのが、「ライカ」だ「カール・ツァイス」だと、あれは「ただのブランドじゃないか」っていう声。 元々は国産・舶来の区別と、その大きな値段の差からそう言われて来たのだろう。
   かつてあの赤い丸いロゴを、写真の道具としては邪道なのでは? と長いこと避けて歩いた経験から、気分としてはアリだと共感する。 そう思っていながらもなぜかSummicronには興味があったり、ツァイスは使ってみて面白さにはまった。 ペンタックスやオリンパスのカメラも面白かったし、仕事道具としてのニコンも面白かった。
   そう振り返ってみてハタと思ったのは、光の入口であるレンズのOEM化も進み、機械的にも各メーカーの特色が薄れて見える気がする昨今、もしかして今、「ニコン・キヤノン? あれはただのブランドだから」になってはしないか? と。

   なんだかんだと最後は ...「好み」という話なのかも。 でも、何をもって「好み」と言えるのかが難しい時なのかも。

   「面白み」がどこかへ行ってしまうようなOEM体制にはなりませんように。